〈第2章 笑顔になる為に〉

1節~期待と執着~

 

 

 

第1章では人にとって人生が幸せかどうか、

 

それは、

 

笑えている環境にあるかどうかが

 

 

大切だと言いました。

 

 

 

 

では”笑える環境”とはどのように得られるのでしょうか。

 

 

答えは”自分で自分を笑顔にする”より他にありません。

 

 

 

人は自分で自分の笑顔を作る必要があります。

 

 

 

一般的な概念では、

 

 

外部の要因によって

 

 

笑顔になれる事を

 

 

望むケースが多々見受けられます。

 

 

 

 

 

例えば、

 

 

素敵な彼氏・彼女が出来て

 

尽くして欲しいなー。

 

 

 

ここの会社に入れば

 

自分を評価してくれて

 

遣り甲斐を持てるかな。

 

 

 

などなど…。

 

人は何かしら、外部の要因に期待します。

 

 

 

 

しかし外部の要因に期待をしても

 

 

幸福感は得られません。

 

 

 

何故なら外部の要因は、

 

 

必ず自分の期待に応えてくれるとは限らないからです。

 

 

 

尽くして欲しい彼氏。

 

尽くしてあげたい彼女。

 

これですと一旦は期待に沿える形です。

 

 

 

しかし人間の欲には限りがなく、

 

 

尽くしてくれる彼女に甘えているうちに

 

 

”甘え”が”ワガママ”になり、

 

 

 

彼女はその期待に

 

応えたくない状態に陥るものです。

 

 

 

 

今日は晴れて欲しいと天気に期待する。

 

道路が渋滞・停滞などで混まない様に運に期待する。

 

美味しい料理を作って欲しいと妻に期待する。

 

高収入を稼ぎ続け、昇給なでも夫に期待する。

 

他人に力を貸してあげた事への見返りを期待する。

 

新しい職場では価値観の合う同僚や経営に期待する。

 

 

 

生きている限り、

 

期待の連続で時間を過ごしているものです。

 

 

 

 

しかし、

 

恋人、夫婦、家族、同僚、友人。

 

 

 

どの関係をとってみても

 

相手にとっては一番大切なものは

 

 

自分自身(本人)だということです。

 

 

 

 

一般的な考え方で言いますが、

 

 

彼女を作る時に一般的にどう考えるでしょうか。

 

 

 

尽くしてくれそうな女性かな、

 

癒してくれそうな女性かな、

 

一緒にいて楽しめる女性かな、

 

美人、可愛い女性だね。

 

 

こういった様に、

 

 

自分に対して得があるか

 

 

価値基準として判断しています。

 

 

 

これでは商品の品定めですね。

 

 

 

 

ですが、その彼女に成りうる女性は、

 

 

相手が自分に何を期待しているかよりも、

 

 

引っ張って行ってくれる男性かな、

 

自分のワガママも許してくれる男性かな、

 

優しく経済力のある男性かな、

 

イケメンだね。

 

 

などの様に、また自分にとって得を考えています。

 

 

 

お互いがお互いを品定めしている状態になります。

 

 

 

 

もちろん、いざという時。

 

 

災害などが起こった際などに

 

 

自分の身を挺して

 

 

助けてくれるということはあります。

 

 

 

 

自分の命より相手の命を優先する。

 

 

尊敬に値するものです。

 

 

 

 

しかし日常の中ではどうでしょうか。

 

 

やはり自分自身の人生を

 

 

しっかり見つめて動かないと

 

 

生きていけません。

 

 

 

どんなに愛している人が

 

 

『逢いたいから今すぐ来て!』と、

 

 

連絡をしてきても、

 

 

 

大事な取引先との会議中であれば

 

 

行けるはずもありません。

 

 

 

自分というものを

 

 

しっかり築いたうえで

 

 

相手も大切に出来るのです。

 

 

 

 

自分の幸福感の為に、

 

 

相手に期待する。

 

 

人間の欲望がそうさせているのだと思いますが、

 

 

 

それが正しいと考えるなら、

 

 

そもそも、

 

 

その相手は何故、

 

 

アナタの期待に応えないといけないのでしょうか。

 

 

 

 

相手には相手の人生があり、

 

 

その人生こそが大切です。

 

 

 

 

アナタの期待に応えるために、

 

 

存在しているわけではないのです。

 

 

 

 

期待していると、

 

 

当然、期待外れな出来事は

 

 

いくらでも訪れます。

 

 

 

 

その際には『何故期待に応えない!』と

 

 

負の感情になり、

 

 

 

場合によっては『裏切られた!』などと

 

 

 

相手にキツく怒鳴るケースまで

 

 

容易に考えられます。

 

 

 

 

怒ったところで相手は理解出来ず、

 

 

何故、アナタの言うことを

 

 

守らねばならないのか。

 

 

 

 

何故、アナタの価値観が

 

 

 

正しいと決めつけてくるのか。

 

 

 

 

こういった不満が溜まり、

 

 

その不満を払拭しようと

 

 

必死に反論してくることでしょう。

 

 

 

 

その結果は喧嘩に発展するでしょう。

 

 

 

あるいは喧嘩にならなくても、

 

どちらかが心底、我慢する状態になります。

 

 

 

 

相手に自分の望む未来を期待して、

 

 

 

そして、その結果に執着した。

 

 

 

 

そのレールの先には

 

 

幸福で豊かな景色など存在しません。

 

 

 

 

いつまでも暗いトンネルや

 

 

木々が覆い茂った森の中を

 

 

目的地なく走ることになるでしょう。

 

 

 

 

 

つまり自分の幸福を他人などの

 

 

外部の要因に求めることが

 

 

 

自分を不幸へ導く第一段階なのです。

 

 

 

 

 

これを手に入れたら幸せになれる。

 

 

これを守れば幸せが続いてくれる。

 

 

 

確かにそうかもしれません。

 

 

 

 

ですが、そのことに執着し、

 

 

手に入れることに必死…

 

 

手に入れたものを我が物として、

 

 

守ることに必死…

 

 

 

 

そうなってしまえば、

 

 

それを脅かす外部の要因に対して、

 

 

 

腹を立て、怒りや悔しさを滲ませる時間を手に入れることになるのです。

 

 

 

 

何度も重複して繰り返しますが、

 

 

 

 

念願の理想を手に入れても

 

 

”期待”がある限り、

 

 

””執着”が生まれ、

 

 

”執着”を手放さなければ

 

 

怒りや不安の様な感情が渦巻き、

 

 

幸福感や豊さは手に入らないものです。

 

 

 

 

何故なら物質も人の心も全ては、

 

 

必ず形を変えていく運命にあるからです。

 

 

 

 

ですが、それを受け入れず永遠を望み、

 

 

 

外部に期待し、

 

 

執着することにより

 

 

穏やかな心を忘れていきます。

 

 

 

 

穏やかな心を忘れた結末は

 

 

不満しか出てきません。

 

 

 

 

 

幸福感があり豊かに感じる人生を手に入れる。

 

 

 

これは第1章でお伝えしましたが、

 

 

人間にとって与えられた能力が

 

 

”笑顔”であり、

 

 

その笑顔を自分自身にもたらす為の

 

 

 

第一歩目の入り口だと言えるでしょう。

 

 

 

2節へ続く…