廃線、廃駅(滅びの美学) | outbackの旅日記

outbackの旅日記

日本中を気ままに旅する記録です。山の中の無人駅でビバークします。
タイトルが3代目になりました。レガシィ→ペケV→outback

廃駅や廃線に良く探索に行きます。(廃村にも行きますが)

本日は今でも行けば見る事の出来る廃線、廃駅で美しく朽ちていって、見事と言って良いものを8か所程掲載します。掲載は北から南へ行きます。

まず最初は、根北線越川橋梁です。未成線ですから馴染は薄いです。知床斜里から根室標津を目指して建設されました。途中越川まで建設されましたが、昭和14年と言う時勢により、工事凍結され再開される事無く、現在朽ち果てていっています。戦時体制のため鉄が不足しており、橋梁の断面には鉄骨が全く見えません。コンクリートだけの橋だったのでしょう。完成から85年経過しています。R244の拡幅工事のためアーチ橋の一部が取り除かれ、断面がさらされるようになりました。当然国道と交差している所にありますので、わかりやすい場所に今もあります。

 

最早有名になりすぎて、観光名所化していると言ってもいい、国鉄士幌線のタウシュベツ橋梁です。年々崩れており、中央のアーチ部分が崩れるのは時間の問題となっています。ダム建設のため線路が付け替えられ、夏から秋にかけて水没します。その際に水が入り込み寒さで氷になって、劣化を加速させています。

 

標津線奥行臼駅跡です。標津線の駅はかなりの数保存されていますが、公園になっていたり、資料館になっていたりしている所が多いのです。この奥行臼駅だけは現役当時のまま、刻が止まったようになってそのままあります。但し冬の季節風のため、様々なものが傾いています。手を加えないと、何れ倒れてしまいそうです。

 

ずっと南に下って、豊橋鉄道田口線の三河大草駅跡です。森の中にポツンとある駅で、当時も無人駅だったようです。今は線路跡を辿ってトンネル経由で割と簡単に来れますが、当時はどうしていたのか、周辺に道路らしきものはありません。これでも電化路線だったそうですから驚きです。夜誰もいないホームに降りた人はどうしていたのでしょうか?ネコバスが接続していたのかも。

 

近鉄大阪線旧東青山駅跡です。下は少し奥にある、近鉄の変電所跡です。美しく朽ちていっています。現在は新青山トンネルで一気に抜けていっています。チェス盤は多分ダリを意識して誰かが置いたものと思われます。

 

四国屋島ケーブルです。通常は、廃線になると危険だからと、車両などは撤去されるのですが、これは今でもそのままです。電車の方は、中にも入る事ができます。ただ気を付けないと割れたガラスがむき出しですから、怪我をする可能性はかなりあります。下の建物はケーブル山頂駅です。こちらは鍵がかかって、入る事は出来ませんが、ガラス越しに中を覗くことはできます。ホラー映画に出てきそうな朽ち方です。子供がいたずらして、怪我でもしたら、速攻で撤去されてしまうか、立ち入り禁止にされてしまいそうです。そういう意味では早く行った方がいいかもしれません。

屋島山頂は今では無料化されたドライブウェイで、路線バスもやって来ます。

 

今や日本一美しいと言われている、国鉄倉吉線の竹林です。最近メディアに取り上げられること多くて、人気の観光地化しています。近くに泰久寺と言う駅跡があり、乗用車なら2,3台停められますが、バスなどは無理だし、大勢やって来るとお手上げになると思います。最近の写真を見ると線路の中に立っている竹は、2本になってしまったようです。

 

国鉄佐賀線の筑後川昇開橋です。現在重要文化財に指定されています。夕暮れに浮かび上がる鉄橋は美しいの一言しかありません。現在は上昇して途切れている橋の所まで、遊歩道化しており、歩いて行く事ができます。佐賀線は1度しか乗車した事はありません。もう40年近く前の事です。

 

現在北海道を中心に廃線、廃駅がどんどん生まれていっています。悲しい事ですが、これらの中でいくつかが、滅びの美学を継承していってくれると思います。その候補駅であった留萌本線峠下駅舎は、雪の重みで倒壊したと言うニュースが入って来ました。3月で廃止になった根室本線も幾寅は保存されるようですが、残りの山部や金山などは、予算が付かず取り壊されるようです。

この他にも旧深名線では、木造駅舎が幾つか良い状態で保存されています。こちらは結構地元有志が、保存に力を入れており、朽ち果てる方向ではないようにも思えるくらい状態が良いですね。

 

個人的な滅びの美学は、そのままの状態で朽ちていき、見た目は眼を背けたくなるようなものも含みます。江戸期以前には、人の死体が、そのまま朽ちていく連続的な絵図も残されており、それはそれで美しいと思います。