旧西吉野村探索Vol3 | outbackの旅日記

outbackの旅日記

日本中を気ままに旅する記録です。山の中の無人駅でビバークします。
タイトルが3代目になりました。レガシィ→ペケV→outback

イメージ 27市原バス停まで降りてきてまた南下します。4.2㎞南下して右折最南端永谷集落入口です。この分岐は高野町までつながる県越えの道です。
イメージ 28
イメージ 29
沿道になんとなく集落が続いています。起伏が少ないので、その様な形成をしたのでしょう。この家は現住です。屋根は瓦葺きになってしまいましたが、それ以外の玄関や縁側の障子などは、非常に良い味を出しています。スイカの種を飛ばしたり、線香花火をしたり、将棋をしたり何をしても絵になりそうな家です。
イメージ 30
黒ずくめの重厚な感じのする家です。今日は来客があるのか人が多くて賑やかそうでした。街から子供たちが帰ってきたのかもしれません。
イメージ 31
旧永谷小学校です。既に面影はありません。集会場になっているようです。前の広場が運動場だったのだろう位しか思い浮かびません。西吉野村探索の現段階では、当時の面影が残る小学校は巡り合えていません。先週の坂本小学校美味しかったなあ!!
イメージ 32
きちんとした案内はありませんでしたが、ナビ上では和歌山県に出ました。分岐から3.7㎞です。ごみを捨てるなとの高野町の案内が後ろにこの先道路が狭くなるとの五條市からの案内左前にありました。Uターンして戻る所です。
イメージ 33
最南端探索は終わり、宗川野合流地点まで戻りさらに少し600m進むと阪巻集落分岐です。ここも天空集落のようです。さっき行った市原集落のてっぺんに住んでいた方から教えてもらいました。
イメージ 34
イメージ 35
入ってすぐに五新線跡と平行します。五新線は後述しますが、未完成の鉄道です。結局鉄道は走らずバスの運行となった幻の鉄道です。結構遺構が残っており、R168沿いには高架が何度も現れます。中に入る事はできません。この辺りは、城戸より南なので、バスも結局走らずに廃止されています。ですから枯れ具合が進行しています。
イメージ 1
ここもかなりの天空です。しかも道が細く傾斜が半端ないです。羊腸の道をクネクネ登って行きます。しかし地図上はこの道は完抜道なのです。
イメージ 2
分かれ道がいくつかあり、ナビを見てもここまで細かいと、表示が信用できなくなりました。ナビが正しければこの道は主要道で脇道ではないはずですが、このスペースでこの折り返しは、かなり厳しいです。この上の道はさらに少し細くなっています。間違えたと思ってここで折り返さずにUターンする事にしました。もう先程別れた一方の道に行くことにしました。
なんとかUターンして降りていくと作業している人に出会いました。道を聞くと、この道で合っているようです。これを切り返して登ると神社前の広場に出て、道は格段に広くなるとの事でした。しかしもうUターンしてきています。先程の分岐を左に取っても結局は神社に出るようです。輪を描いているとの事でした。
イメージ 3
先程の分岐を左に取りました。こちらも狭いです。車を降りる事が出来ません。両サイドドアが開きません。車内から撮っています。
イメージ 4
100m程行くと変形四つ辻に出ました。H型です。現住民家がありました。地図から見ると今写真の立ち位置方面から来ました。今車が向いている方向へ行かなくてはいけません。。見た感じ広く見えていますが、とても切り返す事が出来ません。と言うのも前の民家のものと思われる車が2台も駐車しているからです。作業をしている方に聞くと少し下にUターンできる場所があるとの事ですので一旦真っ直ぐ突っきって戻ってきたのが上の写真です。先程より逃げ道があるのでやり易かったです。
イメージ 5
Uターンして500mお寺に出ました。何という名かはどこにも書いていないのでわかりませんでした。誰もいない昼下がりでした。かなり苦労させられました。
イメージ 6
神社を過ぎると一気に道が広がりました。トラックでも入って来れるほどです。こちらからの道がメインだと思われます。
イメージ 7
先程あきらめた道方面です。こんな天空にかなりの集落があります。往路に使った道では、かなり厳しいですが、裏からの道は余裕の高規格道路です。ここは天空に近いほど交通が良いと思われます。
イメージ 8
往路2.2㎞でしたが、復路はかなり緩やかな道でしたので2.9㎞ありました。しかし全く快適な道で、冬季も余裕で登って行けるでしょう。R168に再び戻って来ました。
イメージ 9
阪巻出口から北上1.1㎞城戸集落です。城戸は五條市の西吉野支所がある、西吉野村の中心地です。ようやく中心地から南の探索は終わりました。後は北西部と北東部が残っていますが、どちらを選んでも一日では、終わりそうにはありません。本日8月1日と言う日付との関係で、できるだけ北東部を探索して帰る事にします。右上の高架は五新線です。
イメージ 10
イメージ 11
イメージ 12
城戸駅高架の上です。現在市職員の駐車場となっているようです。昨年まではここまで五條からバスがやってきていました。しかし乗車率が圧倒的に悪くドンドン便数が減って結局廃止になりました。五新線は遠く新宮までの路線を想定したネーミングでしたが、大塔村の坂本まで路盤は出来上がりましたが、結局鉄道が通る事はなく、国鉄バスが軌道敷きを専用道路として運行していましたが結局撤退して、自治体が奈良交通に運行依頼して継続してきましたが、やはり持ちこたえる事が出来ずに昨年廃止になりました。私は一度もそのバスに乗った事はありません。しかし最近の事なので、探せばいくらでも映像は残っています。また「萌の朱雀」でも五新線のバスが映像に取り込まれています。
イメージ 13
城戸駅から700m。村道を右に入り込みます。この奥には津越、陰地、大峯、桧川迫の4集落があります。
イメージ 14
分岐から3.3㎞民家はぽつぽつあるのですが、集落と言えるものはなく、初めて集落らしきところに出ました。大峯集落のようです。津越、陰地と言う集落は良くわかりませんでした。しかし南側に並行して旧道と思しき道がありますので、そちらに集落があるのかもしれません。写真右上のガードレールは、城戸から続いている旧道が合流してくる道です。帰りはあちらを通る予定です。
ここには大峯小学校があったはずですが、調査し忘れました。次回ここまで入って調べてみることにします。
イメージ 15
大峯集落から1.0㎞桧川迫集落です。やはり集落の民家は散在しており、あちこちに家がある感じでした。谷が広いので、土地に余裕がある感じです。
イメージ 16
さらに400m行くと春日神社がありました。村の鎮守結界かと思われます。これ以降の奥は一気に山奥となりました。
イメージ 17
道は苔むしながら続いていましたが、神社から900m分岐から5.6㎞遂に立往生です。大きな杉の倒木です。枝が二本道を塞いでいます。のこぎりがあれば、この程度の枝は簡単に切り落とせますが、体重をかけても折る事は難しい難しい太さがありました。のこぎりも斧も持ち合わせていないので、残念ながら撤退となりました。
イメージ 18
先程の大峯分岐を今度は左山手に道を取りました。入り口に大峯集落の道と各家の名前がフルネームで書かれてあります。この交差点は、真っすぐが旧道で城戸までの道で、左折すれば、また道が枝分かれしながら9軒の家があるとの事です。まあ車が入れるかの保証は何もありませんが、、とりあえず左折してみます。
イメージ 20
最奥と思われる家を目指します、途中遠目にそれらしき家が望めました。まだ今しばらくありそうです。
イメージ 21
分岐から1.5㎞。相当道が細いです。この先家があるとわかっていても進むのを躊躇します。この狭い坂を登るのか?Uターンできるのか?この道バックで降りてくるのは嫌だ!と言う事で、ここで車を置いて斥候を出すことにしました。今の場所は、Uターンできます。
イメージ 19
歩く事200m。目的の民家前まで来ました。嫌な予感がしていましたが予感は当たりました。この辺りでは家じゅうを柵で囲っている家がものすごく多いのです。全て獣対策のようです。人間が檻に入っているようなものです。この家の住人なら柵を開けて敷地内に入って、Uターン普通にできますが、私のようにこの家に何の縁もゆかりもない、はっきり言って不審者では、人がいれば声をかけていけますが、誰も見えないのに中々開けて入って行く事などできません。この柵の手前でまた急な折り返しとなっており、この中に入らないと車の回転は厳しい状況と考えました。
やはりあそこで斥候を出して正解でした。ここまで車で来ていたらこの家に迷惑をかけることになっていました。あの地点より引き返します。それにしても廃屋ではなくあの道路環境の奥にこのような大きな家がある事に驚きました。現住のようで綺麗に手入れされていました。
イメージ 22
分岐から旧道を進みました。民家はパラパラ現れますが、集落と言うには分散しすぎでした。津越と言う集落は結局特定できなかったことになります。途中にあったお寺の辺りが唯一それらしいのかもしれません。ここはもう津越ではなくもう陰地と言う集落のようです。大峯分岐から4.1㎞ありました。道はとても細く片側崖っぷちの斜面に取り付けられた幅2m強の道で、通常の乗用車では停めても降りて足を置く幅はありませんでした。教習所の狭いS字カーブを片側崖状態でやっているようなもので、さらに時折苔むして路面が滑りやすくなっていました。
イメージ 23
イメージ 24
陰地集落内です。圓光寺と言うお寺です。中が解放されており、見る事が出来ました。住職さんが在住のようでした。
イメージ 25
集落の出口しかし城戸側から入り口部分です。この辺りではこのような集落案内図が、どこでも掲示されています。訪問者にとっては非常に便利ですが、各家がフルネームで記載されています。女性名もあります。作成時には既に一人になってしまわれた方だったのでしょう。あまりに堂々と掲示されているので、思わずここに掲載してしまいました。良いのかなあ?
イメージ 26
むすばれ橋たもとに出てきました。一寸狭くて先程は見逃していました。

この後は帰宅です。本日は先程も書きましたが、8月1日です。この日は毎年恒例のPL花火大会があります。河内長野、富田林一帯は、パニックになりますので、外環状も中央環状も使えません。ですから北西部ではなく北東部を探索して、R309に再び出て大口峠先から京奈和道路を通り奈良県を縦断して清滝峠から帰る事にしています。奈良県の京奈和道路は走りやすいのですが、それ以外の道は常に混雑していますので、奈良中心部の道路に私は良い印象がなく、できれば走りたくないのですが、本日は致し方ありません。しかし結果から言えばいつも通りの時間で帰って来れました。思い過ごしだったかも、、、、