旧大塔村集落探索Vol2 | outbackの旅日記

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日本中を気ままに旅する記録です。山の中の無人駅でビバークします。
タイトルが3代目になりました。レガシィ→ペケV→outback

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辻堂集落内の道から赤谷キャンプ場を経て野迫川村へ通じるr734が分岐しています。しかし様子がおかしいです。通行止めの案内です。先週は野迫川村から赤谷キャンプ場までやって来ましたが、そのような案内はありませんでしたので、例によって行けるところまで行ってみます。
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これ河原に車を乗り入れている写真ではありません。道路に河原が乗り入れて来ている写真です。水が流れている所は、アスファルトで、流れと直角にセンターラインが水の流れの下に見えています。左奥から大量の土砂が流れ込んでいます。水量は正にもう普通の川と言って良い位です。
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左奥の暗くなったところの部分です。山から滝となって轟々と水が流れ込んでいます。既に滝口も形成されています。これ自然の方が1本勝ちでしょう。きちんともう川道を作ってやらないと、道路はもう完全に敗北です。
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河原から 100m強力な通行止めです。でも本気で止めるなら、河原の手前だと思うのですが、、、この向こうは右手の崖の補修工事中と言うかまだ崩れる恐れがあると言う事なのでしょう。地図ではこの先の宇井集落で対岸に橋が渡っていますので、そこから野迫川方面にけると思われます。対岸には宇井の町並みが望めます。結構大きな集落です。今は宇井に学校が1校だけ現存します。この道は再び河原を通って引き返します。
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赤谷方面は後回しにします。辻堂集落にはもう1本山に伸びる道があります。堂平、飛養曽、引土へと通じる道です。右折して橋を渡って行きます。
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そんなに奥深いと思われないのに(地図からは2㎞強)3つも集落が本当にあるのかと思いながら登って行くと、500mで1つ目の集落です。堂平と言う集落のようです。そこそこの規模で、しかも結構現住率が良いようです。まあここまでは、急勾配とはいえ、学校のある宇井からたった500mですからまあ納得です。
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さらに600m今度は飛養曽(ひよそ)集落です。ここも結構大きいです。山のてっぺんまで集落が見えます。
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直進次の集落へ、右天空集落へと続く道のようです。もちろん右折です。
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頂上に近づいています。正面は洗濯物も干してあり、車も綺麗なので現住確定です。道はさらに続きます。
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集落内分岐から700mついに行き止まりです。狭いながら回転可能です。奥に民家が見えています。行ってみます。
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残念ながらもう既に無人となっていました。左下はわずかな面積の畑がありましたがかなり自然回帰していました。飛養曽とはどういう謂れがあるのでしょうか?ネットで検索をかけましたが、それらしい解説には行き当たりませんでした。平家関係の伝説がきっとあると思うのですが、、、
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飛養曽を過ぎると一旦峠を越えて、下り始めました。そして最後の集落引土(ひきつち)が下に見えてきました。思いっきり下に見えているのは宇井集落です。
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橋分岐から2.3㎞遂に終点です。3つの集落実際にありました。紀伊半島の懐の深さを感じさせられます。しかし近代化以前はどういう状態だったのか非常に興味を持ちます。行けなくても良いから、ビュワーだけでも良いからのぞいてみたいものです。
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1軒の家なのでしょうか?お屋敷と言っても良い位立派ですが、人の気配がありません。
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階段を下りて正面玄関に至る家もあります。ごく普通に、、、しかしここも人の気配がありませんでした。引土で気配が感じられたのは1軒だけでした。
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集落から眺めると、痛々しい山肌が見えます。まるで酷い擦り傷のようです。修復されていっているようですが、まだ薄皮が張った程度です。それだけ予算が少ないのと、4年前の集中豪雨が凄まじかった事を物語っています。
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辻堂へ戻り次の集落へ向かうとこの橋に違和感を覚えました。R168は十津川村へも通じていますのでここ数か月頻繁に通っています。今まで、右手奥の道から上ってこの橋のたもとに合流していたはずでしたが供用を開始したようです。案内に聞くとごく最近の事だとの事です。確か小さな集落内を通っていたと思いだしましたので、脇道を戻ってみることにしました。
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戻ってみるとやはり集落がありました。閉君(とじきみ)集落です。これまた妙な名称です。隠れ里の多いこの地域ならではの名前のような気がします。検索をかけても何もヒットしませんでした。
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集落奥で新道との切り替え地点です。このようにして自然に新道の方へと誘導されていたので、橋を渡るまで気が付かなかったようです。右手奥は新トンネル建設中です。
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宇井集落分岐です。ここもバスで来たときは集落内を、バスが軒先をかすめながら通過していった記憶があります。今は左のトンネルで一気に抜けられます。しかも集落があるのに行き止まりの案内がありました。
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宇井集落内です。ほとんど現住のようです。旅館や民宿なども数軒ありますが、それはさすがに継続している所はないように思えます。漆喰の大きな蔵も見えますし往時は街道筋として賑わったことでしょう。
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やはり通行止でした。集落を外れるといきなりです。崩れ方は大したことはありませんので、開通自体はそんなに問題ではないように思えます。実際歩いてなら簡単に通り抜けできそうです。問題は左の崖にあると思われます。何時でも行くぞ的な飛び立ちたい奴らが一杯います。危なっかしくて人の通過を認められないと言う事だと思われます。落石中の現場にはやはり出くわしたくはありません。
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通行止め付近から対岸の山と川を望むことができます。山は先程の引土集落と思われます。赤い屋根があのお屋敷でしょう。
下の川も先程河原になってしまった道路です。右手重機の後ろの壁が白くなっているのは、山からの水が流れ落ちている滝です。
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引き返して、トンネルを抜けて反対側の宇井集落入口です。左左折は篠原集落へと続く県道です。赤谷方面後に左奥にも行きますがまずは右折して、宇井集落内へ降りて、その後集落内の橋からいよいよ赤谷方面へ向かいます。
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旧国道の宇井集落内県道分岐です。右手赤谷経由野迫川村直進旧R168間もなく新道合流となります。右折して橋を渡ります。
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橋を渡るとまたT字路です。右県道ですがあの河原道路につながっています。左赤谷方面ですが、まず右手を確認しに行きます。清水集落があるはずです。
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400mで予想通り通行止めです。予想以上に頑なまでの停め方です。上から見た限り、道路自体に問題がるわけではなく斜面の工事によるものだと思います。
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この地点で通行止めとなっているのはここから清水集落への分岐があるからだと思われます。引き返す形で山の方向へ道が延びています。
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この清水集落も急激に高度を稼いでいきます。集落は現住率は低いように思えます。
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400mで行き止まりました。結局人の気配はあまり感じられませんでした。登り口でおばあちゃんが野菜の手入れをしていたのが印象が残る程度でした。
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いよいよ赤谷方面です。先程の分岐すぐ道はダートになりました。県道のダートは珍しいので外に出て観察しました。河原には重機が土砂の浚渫をしています。右も左の崖も大きな傷跡があります。大規模な災害の跡のようです。川が一旦埋まって天然ダムになっていたと思われます。もとは舗装路であった道も土砂に埋め尽くされたと言う状況のようです。しかし見える範囲向こうまでダートです。余程大規模に崩壊したのでしょう。
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先週やってきた野迫川村との境です。これで、r734も制覇しました。先程のダートは、やはり500m程で、また舗装路に戻りました。この境まで県道からは4.4㎞でした。
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野迫川村との境に赤谷があります。集落ではなくキャンプ場と、谷筋に林道が延びているように地図では書いてあります。しかし一見してそれは過去の話だと理解できました。赤谷も完全に崩壊して一度埋まってしまったようです。元の状況は全く分かりません。もちろん林道がどこにあるのかさえ見分けるのは不可能です。
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谷入口にある赤谷キャンプ場跡です。ここまで土砂が流れ込んでいます。もう修復されることはないでしょう。工事関係の物置として一部利用されているようです。

ここでまたページを改めます。後は先程の宇井分岐から左折して、篠原集落方面で、大塔はほぼ終わりです。先日天辻峠探索で訪れた天辻と国王神社の急坂にビビった簾集落には本日はもう行きません。