私の選択 | 野良翻訳家・HanaBananaの Enjoy Life!
鷹はその昔、70年ほど生きたといわれています。 その鷹の生態をたとえに、生きることを示唆している文書を 仕事で知ったので、ご紹介。


この話は、ネイティブアメリカの言い伝えで 知っている方が多いかと存じます。「鷹の選択」のお話。 You tubeの映像にも冒頭で「一部フィクションです」と明記されていますが、 昔の言い伝えだ、とか、鷹は今はそんなに長生きしないだの、 そんな無粋な人はほうっておいて。。。 まったくの嘘だったとしても、40過ぎた方々には心に迫るもの、刺さるものがあるだろうし、 一部フィクションであっても、鷹の選択に、たとえそれが本能に従ってやっているのだとしても、 つまり、鷹の意思で選択をしていないにしても、同じ生き物として心打たれるものがあり、な お話を書きますネ。


You tubeのリンクも貼りましょう。訳がテロップで出るので、ミュートにしても 見られますヨ。 リンクが繋がらなかったら、「鷹の選択」で検索してみて下さい。


http://www.youtube.com/watch?v=0duG5WFk_xs


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鷹は最高70年生きられると言われていますが、このように長生きするためには、 約40年が過ぎた時に重要な決断をしなければなりません。


鷹は約40歳になると、爪が弱くなり獲物がうまく取れなくなります。 くちばしも長く曲がり、胸につくようになります。 羽も重くなり、徐々に飛べなくなります。


ここで鷹は、2つの「選択」に置かれます。 このまま死ぬ時期をまつのか。 苦しい自分探しの旅に出るか。



自分の変化の道を選んだ鷹は、まず山の頂上に行き巣を作ります。 その後、鷹はとても苦しいいくつかのことをやり始めます。


まずくちばしを岩で叩き、壊し、なくします。 そうすると新しいくちばしが出てきます。 それから出てきたくちばしで、爪を一つずつはぎ取ります。 そして新しい爪が生えてくると、今度は羽を一本ずつ抜きます。 こうして半年が過ぎ、新しい羽が生えてきた鷹は、新しい姿に変わります。
そしてまた空に高く跳び上がり、残りの30年間を生きていきます。



人は誰でも、過去よりは成長することを願います。 成長を望み、もっと新しい自分を見つけるためには、心の底から「変化」を期待し行動しなければなりません。 大切な人生の生きる意味に気づき、「涙」と「笑顔」で成長する自分と向き合うためには、 この鷹が見せてくれたとても苦しい「選択」という勇気ある決断が必要なのかもしれません。


人生の価値は「速さ」と「広さ」ではなく、「方向性」と「深さ」にあることを忘れない。



あなたが心から探し求めている「生きる意味」とは何でしょうか? どのような自分を求めていますか? 変わりたい自分が「こころの扉」を叩く、のであれば、その気持ちと素直に向き合い、 最も大切な事を選ぶ「勇気」を忘れない。 そして「成長」を求める自分を否定しない。 これが生きる意味と向き合う私たちにおくる「鷹」からの「教訓」かもしれません。

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先日、47歳の誕生日を迎え、50歳の節目がなんかの目安となり、 若いころは年齢なんて、と思っていたけれども、 体の衰えを感じたりはするようになってきました。反面、経験に基づいた価値観や信念のような厚みが出来てきて思う今、 上手に50代に突入していきたいな、と思っています。


仕事のことに関してですが、振り返れば、42,3歳あたりから今日までは、あきらめた目標はたくさんあります。 でもそれ以上に無駄な固定観念、虚栄心、義務感、多々捨ててきたとも思っています。 そして、目標をあきらめても、単にあきらめに終わってないことも多々あり(おめでたいので~)、 1つあきらめると、そこから「あれ?こうだったらどうなるかなぁ?」って新たにアイディアが 派生してきたりもします。そして、小さな挫折に凹むこともなくなってきたし、どんどん自由になっていく感じといいましょうか。



最初のうちは、目標を捨て、方向転換することに、悔しさを覚えたり、 罪悪感や恥ずかしさを覚えていました。 おはずかしながら、何にだって、釈迦力に頑張って、全てにおいてオールマイティに「できる女」に見られたいって思っていました。 でも、徐々に、そして、いつのまにか自分でも気付かないうちに、等身大の自分が見えてきて、 等身大の自分を認めることが出来てきた、私は私、だから、私が本当にやりたいことって何だろう? それが別に世の中から高い評価を受けていなくても良いじゃないか、釈迦力に頑張りたいと 思うものに頑張ろうぜって思えるようになりました。


これは、おそらく、自分のプライドが満足できる会社で働けたという経験が、少なからず私を変えてくれたんだと思っていますが、そこを飛び立った後、何らかのイベントだったりプロジェクトだったりマネジメントする都度 感じているのですが、その仕事のどの部分を自分が得意とするのか、自分の力の配分が見えてきました。 無駄なこだわりとか、不必要に人に認めてもらおうって気持ちがない分、なんだかサクサクと仕事を進めることが 出来るようになりました。 経歴書にかけるようなスキルではないけれど、経歴書とか資格とかの2次元の枠に収まるスキルじゃないよね?って思っています。


で、なんか、この鷹のお話を読んで、あぁ、そうか、私、もしかして、さらなる新しい世界を求めて 自分でくちばし折ったり、ツメを引き剥がして、羽も抜いたのかしら?って。



私がクチバシや爪や羽に例える、固定観念、虚栄心、義務感、ってのは、30-40代前半は 必要不可欠なことだと思っているんですよ。 その不屈の時代があったからこそ、得ているものも数えきれないほどある。それは、辛くて流した涙を遥かに凌駕する勢いと量と質があります。だから、そのくらいのお年頃の皆様には、自分に対する正当な欲望(自分を甘やかす欲望ではなく)に負けることなく、釈迦力になれよ!ってエールを送ります。賢く立ち回ろう、なんて小賢しい考えは捨て置いて、思いっきり涙も鼻水も滴ながら、みっともないくらいしがみついてください。


でもね、それは40過ぎると、実際、同じ考え方とかやり方じゃ、ダメなんです。 いつまでも若い感覚で、とか、若い時と同じように肩肘張って頑張っちゃうとか、とかく見た目も頭の中もやり方も、若い感覚を良いこととしている、 日本人の女性は多いですけれど、それは言葉のマジックで、そういう人は、幼稚でいることを 選択しているオバサンなんだと思います。



人は誰でも、過去よりは成長することを願うけれど、きっとそれは、 過去と同じように「変化」していくことではなく、 自分が心の底から探し求めている生き様を、長い時をかけて、自分の心に問いかけて、 捨てる勇気、選ぶ勇気、自分を認めて、そこから再出発していく勇気をもちましょうということなのでしょうね。



とことん、変化がいやならば、死ぬことを選ぶ鷹だっているわけです。 なにも本当に死ぬってことじゃなくて、成長を拒む生き方も、それも1つの選択だと思います。 あたしゃ、もうちょっと自分に色気があるけどネ。


息子がしっかりと、若いなりにも、自分のやるべきこと、責任を自覚して、迷いながらも取捨選択している、その成長を傍らで見て、自分の置かれた年齢を自覚することもあります。一方で、80を目前にした母が、色んなことが出来なくなり、また、やらなくなる様を見ていて、「ここまで来たら、頑張る必要ってないよな~」って受け入れられるようになってきたからでしょうか。



そして、映像の中のこの一言に、深くうなづきました。   


人生の価値は「速さ」と「広さ」ではなく、「方向性」と「深さ」にあることを忘れない。



若いころは、速くあれ、広くあれ、と思っていましたが、 じょじょに方向性と深さに変わっていくことを知りました。



皆様は、この鷹のお話を読んで、どう思われますか?