どうして犬は人に飼われたのでしょうか? | 飯高山荘のブログ

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新石器時代の初めに、我々の先祖は早くも犬を飼い馴らすことに努めていました。それは今から一万二千年ぐらい前と推定されています。
こういうことがわかるのは、地下にうずもれている人類の遺跡の中に馴らされていたものと思われる犬の骨が一緒に見いだせるからで、人と犬が同じ場所に住んでいたと考えられるのです。

人々は粗末な小屋に、獣の皮をまとっただけでの裸体で寝起きしていて、果物や狩りして捕まった獣の肉を焦がして食べていました。
火は夜間の猛獣の襲撃を防ぐのにも欠かすことのできないものでした。

犬は、残り物の掃除夫!

小屋の後ろには、半分腐った肉や骨がだんだん積み重なりハエやそのほかの虫が集まり不潔でした。
そこに、夜の侵入者(犬)が不潔な残り物をきれいに掃除してしまったのでかえって好都合でさえあったのです。
憎んだり追い払ったりする必要はなかったのです。

これこそ、今日われわれの忠実な友となっている犬の原始の姿だったのです。
彼らは残り物の匂いを慕う同時に、人間のいるところを慕うようになったのです。

夜の不安をのぞく!

古代の人々の生活で一番不安だったのは、夜でした。たいがいの猛獣は夜になると獲物探しにうろつき回り危険にさらされていたのでした。
この不安に、備えるただ一つの方法は常に焚火を絶やさずに置くことよりほかに何もなかったのです。

ところが、人々は小屋の周りをうろついている獣ー残り物の掃除夫が夜中にしばしば唸ったり吠えたりするのを知り、それは闇の中に動くものであったり、かすかな音がしたりする時で、その声は恐れと怒りを示すものでした。
何ものかが近づいたのを知るにはそれで充分でした。

彼ら(犬)は、置き場にある自分たちの食べ物を守るために他のものを近づけまいとして、唸ったり吠えて結果的には小屋にいる人々に警告を与えることになりました。
野獣にせよ、盗み人にせよ、あるいは悪魔にせよ、人々はようやく、この小獣(犬)の声によって夜の災難をまぬがれることができると悟り始めました。

自分たちに見えないものでも見えたり、自分たちに聞こえない音でも聞こえたりするのに驚き、この獣(犬)は悪魔を追い払う不思議な力があるのだろうと信じるようになりました。

これは、古代の宗教には必ず犬を神の住む世界の使者として崇拝する思想が現れている点からも推測できるのです。

人々は、この警戒の役目を受け持ってくれる有益な動物にもはや残り物をあてがっておくだけでなく、進んで新しい肉を与え小屋の周りに呼び寄せておき、安眠ができるようになったのです。
こうして、原始の犬は次第に人間の住居付近にいる時間が長くなり、自然にその場所を守るようになっていきました。それと同時に食べ物をたびたびくれる人には特別の親しみを感じるようになり、人の方でも彼らの中で次第に愛情が芽生えていったと思われます。

人と同じところに住み、人に食物をもらう代わりに、人の命令に従う、ように「犬」が作り上げられたのです。