頼政伝説と里山風景が多く残る結縁寺周辺・後半 | ガネーシャJr.の印西暮らし

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2015年迄印西市ではんこ屋を営んでいたガネーシャJr.と申します。角膜と硝子体の目の病気ではんこ屋を閉店しました。
里山と近郊都市の両立する印西市が大好きで、市内を散歩しながら見た事や行政に感じる事を個人的見解で書いています。どうぞ宜しくお願い致します。

こんにちは、ガネーシャJr.です。

印西の人気スポット、結縁寺の後半です。


結縁寺界隈には平安時代末期の源氏の長老・源頼政に関わる伝説が多く残っています。

宇治平等院の戦いで自害した源頼政の首が敵に渡らない様に頼政の愛馬が東国まで運んでいて、急に首が重くなり馬が動かなくなった場所に葬ったそうです。
首を埋めた墓所が頼政塚①です。ただ頼政塚と言われる場所は日本各地にあり、どこが本物かはわかっていません。
印西の頼政塚の周辺には雑草のドクダミ(じごくそば)が生えないと言われています。今度じっくりと周りを探してみます。
また頼政塚の木には糸が結ばれていて、手首が痛い時この糸を結ぶと治るそうです。
でも大分糸は汚れていて、とても結ぶ気にはなれませんでした。

住所は船尾ですが、旧結縁寺村と旧船穂村の境のゴルフ練習場横に名馬塚②があります。頼政の首を運んだ愛馬を葬った場所だそうです。
数年前の名馬塚はうっそうとした場所でしたが、周りが伐採され残された木も枯れて石碑だけの寂しい塚になってしまいました。

結縁寺熊野神社の鳥居の側に入定塚③があります。戦国時代に伊勢源氏の子孫の娘が墓所を訪れ夢のお告げで入定した場所だそうです。

印西の頼政伝説は木下にもあり、上町観音堂本尊十一面観音は源頼政の守本尊と言われ、観音堂境内には頼政の松と呼ばれる黒松がありました。しかし老齢で1983年伐採されました。


頼政塚のすぐ側に古びた大師堂④があります。
印西には印西大師と言う89ヵ所の大師堂巡りがありますが、この大師堂はその中に入っていませんが立派な大師堂でした。


結縁寺東の天満天神宮⑤は小高い丘の上にある天神様です。階段途中の梅が素敵です。
梅の季節は美しく里山の風景を彩ります。やはり天神様と梅は似合います。紅梅と白梅やピンクの梅が咲き乱れます。


この付近は谷津田⑥が多く、にほんの里100選に選ばれた里山風景が見られます。
結縁寺の谷津田は江戸時代の検地帳にあり、中世から耕作されていました。
里山の谷津田風景は季節毎に変化して、毎回異なる景色が見られます。
真夏には運が良ければ、谷津田の番人・案山子さんに出合えるかも。


そして結縁寺の北で一番ニュータウンの高花に近い場所にある大日塚⑦は江戸時代に建てられ石碑が存在します。
2年前は森の手前に大日塚はありました。
今は住宅開発地の真ん中に一本だけ木が残り、宅地の中に塚が存在しています。

結縁寺地域の高台には雑木林と竹林⑧が多く見られます。

市内は手入れが不足した竹林が増えてますが、きれいな竹林は見るだけで癒されます。
この地域はニュータウンに近いので開発され易く、雑木林とが伐採されていました。
市街化調整区域でも印西市は40戸連たん制度によりニュータウンに近い土地は宅地に造成されています。せめて歴史遺産の史跡だけは計画的に保護して欲しいと思います。


今回の頼政伝説やその他の見所の場所です。

印西の人気スポット、結縁寺の里山を楽しんでいるガネーシャJr.でした。