印西の歴史とぶらりまちめぐりハイキング3ゴール編 | ガネーシャJr.の印西暮らし

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2015年迄印西市ではんこ屋を営んでいたガネーシャJr.と申します。角膜と硝子体の目の病気ではんこ屋を閉店しました。
里山と近郊都市の両立する印西市が大好きで、市内を散歩しながら見た事や行政に感じる事を個人的見解で書いています。どうぞ宜しくお願い致します。

こんにちは、ガネーシャJr.です。


千葉レインボーバス(株)・印西市観光協会・印西市協催による「印西の歴史とぶらりまちめぐりハイキング」の最終回です。

六幸橋手前の木下水辺の広場は今回のゴール地点でした。ゴールを横目で見ながら弁天川沿いを歩き、六厳島神社に向かいました。


六軒厳島神社は水神社も祀られ、隣に稲荷神社もあります。

毎年大晦日に「六軒厳島神社年越し神輿」が行わ、新年と同時に神輿が始まります。
厳島神社境内には印西出身の大相撲横綱・鳳谷五郎関の石碑も建っています。
書は印西出身の俳優・滝田栄さんです。

六軒川(手賀川)の対岸に巨大ポンプ?の機械らしき物がありました。
今まで気がつかなかったです。

成田線を越えるのは踏切ではなくトンネルになっていて下をくぐります。
成田線の手賀川の鉄橋です。電車が通りましたが、撮影間に合いませんでした。

水田地帯の真ん中に干拓の記念碑(改良事業竣工記念碑)があります。
この水田地帯の殆どが干拓地です。干拓前の手賀沼は巨大だったと思います。

国道356号の六軒大橋を渡り「川の停車場」から六軒川(手賀川)沿いを歩き、鮮魚街道の橋を渡ります。この橋の近くに大盛で有名なレストラン「リバーサイド」があります。

大正時代の大森・六軒は若山牧水らの文学者の集まる街でした。
橋先の土手に若山牧水の歌碑があります。
初めて訪れた時は小さな公園の様に感じました。今は碑だけしかありません。

この辺りの土手沿いは桜の木が植わっていて、初春は素晴らしい散歩道になります。
六軒川を戻り、弁天川との合流地点があります。ちょうど弁天川から「いんざいぶらり川めぐり観光船」がやって来ました。
お互いに手を振って挨拶しました。女船頭さんがいるそうですが、わからなかったです。

国道を渡るトンネルは水が溜まっていて通行止め、国道から木下街道と歩きました。
成田線の踏切で電車と出会い、大正・昭和時代に賑わった大森・木下を眺めながらゴールの水辺の広場を目指しました。
35年前はもっと営業しているお店があり、商店街の雰囲気がありました。

国登録有形文化財の「武蔵屋」はレストランになって健在でした。

ゴールの「きおろし水辺の広場」では、完走記念の温かい豚汁が待っていました。
雑誌前に半分食べてしまいました。具沢山の美味しい温かい豚汁でした。
六軒川沿いの「川の停車場」で第3土曜日に営業している「軽トラ市」を今回のイベントのゴールで開催していました。
9kmの行程を18000歩で歩き、ガネーシャJr.の1歩は50cmだとわかりました。

今回は距離が長く、疲れない様にコースだけ歩きました。ただコースを間違え易く、道案内板がもう少し欲しかったです。
また「印西の歴史とまちめぐりハイキング」でしたが歴史の説明がないので、知っている歴史関係箇所しか解りませんでした。
行程に「木下交流の杜歴史資料館」や「吉岡まちかど博物館」の歴史資料館はありましたが、多くの参加者は素通りしていました。(そう言うガネーシャJr.も)
昔「印西よかっぺ夢祭り」のイベントで「吉岡まちかど博物館」や「武蔵屋」や「滝田家蔵・吉岡家蔵」等を廻るスタンプラリーがありました。それに参加してガネーシャJr.は印西の歴史に興味を持ちました。


木下の街周辺を廻る楽しいイベントでした。
今回のコースの信号の無い交差点や歩道の無い道には観光協会の方が誘導に立って頂き、本当にご苦労様でした。
コロナ禍で大人数参加のイベントは難しいでしょうが、また参加したいです。
今回行けなかった場所を再度ゆっくり歩きたい、そんな思いのガネーシャJr.でした。


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