こんにちは、ガネーシャJr.です。
印西市は旧街の里山に新しいニュータウンの街を建設した、新旧の街が存在する都市です。
その両方の景色が融合している風景は、他の里山とはまた異なる絶景を産みました。
今でも里山の谷津田のすぐ先で、事業用地の開発が行われています。
最初に出来た千葉ニュータウン中央駅地域は、浦幡新田・小倉・和泉・泉・十余一・武西・戸神・多々羅田・草深の一部がニュータウン用地として開発されました。
新しい地名の木刈・牧の木戸・大塚・桜台・中央北・中央南・原山・内野・高花と、旧地名の一部を付けた小倉台・戸神台・泉野の街が産まれました。
マンション群のある住宅地の直ぐ側に、緑溢れる里山の自然が広がっています。
戸神川防災調整池は人工池ですが、周りを雑木林が囲み山奥の湖みたいです。千葉ニュータウン中央駅から500mしか離れてなく、駅前マンションが雑木林越しに見えます。
戸神の高台の畑や雑木林は、多くが千葉ニュータウン中央駅住宅地の戸神台に変わりました。
戸神の畑の奥にマンション群が見えます。
近くで見たマンション群。一つの巨大な要塞の様にも思えます。
印西牧の原駅地域は草深だった地域が大半で、他に別所・宗甫・滝の一部がニュータウン用地として開発されました。
草深は広大な地域でしたが、殆ど未開発の地域でした。江戸時代から開墾されましたが、開墾は難航しました。その未開発地に強制徴用で集めた労力で印旛飛行場が造られ、太平洋戦争時は陸軍飛行場として使用されました。
印西牧の原駅圏はその平坦な土地になった飛行場跡地を中心に、西の原・原・東の原・牧の原・牧の台・滝野の街が造られました。
少し前まで、印西牧の原駅圏ショッピングセンター裏に未開発地が広がっていました。
千葉ニュータウン開発で、多くの畑や雑木林が造成され更地になりました。その後千葉ニュータウン事業縮小中断で30年近く放置された鹿黒・大森古新田地区は事業用地として開発され、巨大物流センターやデータセンターのある鹿黒南地区として産まれ変わりました。
また昔の街の氏子がいなくなった神社は、これからどの様になるのでしょう。
泉(泉野)の弁天神社は入口閉鎖、放置され荒れ放題になっています。
草深(原山)の神明神社は境内の木は伐採、鳥居と本尊の石碑だけの丸裸状態です。
現在はニュータウン用地以外の隣接地域も住宅が建てられ、畑や雑木林が消えています。
農業用地も後継者不在で耕作地が減りつつあり、益々住宅地は増えるでしょう。
里山とニュータウンの融合が素晴らしかった印西里山の風景も、今後どの様になるのか想像出来ません。
今の印西里山が大好きガネーシャJr.でした。