里山からニュータウンへ、新旧の街の融合は如何に | ガネーシャJr.の印西暮らし

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2015年迄印西市ではんこ屋を営んでいたガネーシャJr.と申します。角膜と硝子体の目の病気ではんこ屋を閉店しました。
里山と近郊都市の両立する印西市が大好きで、市内を散歩しながら見た事や行政に感じる事を個人的見解で書いています。どうぞ宜しくお願い致します。

こんにちは、ガネーシャJr.です。


印西市は旧街の里山に新しいニュータウンの街を建設した、新旧の街が存在する都市です。

その両方の景色が融合している風景は、他の里山とはまた異なる絶景を産みました。

今でも里山の谷津田のすぐ先で、事業用地の開発が行われています。



最初に出来た千葉ニュータウン中央駅地域は、浦幡新田・小倉・和泉・泉・十余一・武西・戸神・多々羅田・草深の一部がニュータウン用地として開発されました。

新しい地名の木刈・牧の木戸・大塚・桜台・中央北・中央南・原山・内野・高花と、旧地名の一部を付けた小倉台・戸神台・泉野の街が産まれました。

マンション群のある住宅地の直ぐ側に、緑溢れる里山の自然が広がっています。


戸神川防災調整池は人工池ですが、周りを雑木林が囲み山奥の湖みたいです。千葉ニュータウン中央駅から500mしか離れてなく、駅前マンションが雑木林越しに見えます。


戸神の高台の畑や雑木林は、多くが千葉ニュータウン中央駅住宅地の戸神台に変わりました。
戸神の畑の奥にマンション群が見えます。
近くで見たマンション群。一つの巨大な要塞の様にも思えます。


印西牧の原駅地域は草深だった地域が大半で、他に別所・宗甫・滝の一部がニュータウン用地として開発されました。
草深は広大な地域でしたが、殆ど未開発の地域でした。江戸時代から開墾されましたが、開墾は難航しました。その未開発地に強制徴用で集めた労力で印旛飛行場が造られ、太平洋戦争時は陸軍飛行場として使用されました。
印西牧の原駅圏はその平坦な土地になった飛行場跡地を中心に、西の原・原・東の原・牧の原・牧の台・滝野の街が造られました。
少し前まで、印西牧の原駅圏ショッピングセンター裏に未開発地が広がっていました。

今も飛行場跡地の草原(未開発地)が所々に残り、草原越しに住宅が望めます。


千葉ニュータウン開発で、多くの畑や雑木林が造成され更地になりました。その後千葉ニュータウン事業縮小中断で30年近く放置された鹿黒・大森古新田地区は事業用地として開発され、巨大物流センターやデータセンターのある鹿黒南地区として産まれ変わりました。

初めて出来た物流センター前を、トラックと一緒に農業トラクターが走っていました。


また昔の街の氏子がいなくなった神社は、これからどの様になるのでしょう。

泉(泉野)の弁天神社は入口閉鎖、放置され荒れ放題になっています。


草深(原山)の神明神社は境内の木は伐採、鳥居と本尊の石碑だけの丸裸状態です。



現在はニュータウン用地以外の隣接地域も住宅が建てられ、畑や雑木林が消えています。

農業用地も後継者不在で耕作地が減りつつあり、益々住宅地は増えるでしょう。

里山とニュータウンの融合が素晴らしかった印西里山の風景も、今後どの様になるのか想像出来ません。

今の印西里山が大好きガネーシャJr.でした。