長い思い出語りです。

小さい頃、小学生くらいまでの夏休み
といえば…

じーちゃんちにお兄ちゃん(年子)と泊まりに行く事でした。
じーちゃんちは裏が山で、家の周りにはばーちゃんがやってる畑があって、とうもろこし🌽トマト🍅きゅうり🥒かぼちゃ🎃玉ねぎ🧅じゃがいも🥔、色々野菜。家から少し行くと田んぼもありました。
梅の木と柿の木、アケビもあって、アケビはじーちゃんが食べ方を教えてくれて種を庭に「ぶぶーっ」と飛ばしてるのに憧れてました笑
井戸で冷やしたスイカを食べたり、
木の上に板を敷いてじーちゃんとはしご🪜で登って木の下に生えてるミョウガを井戸水でバシャバシャしたのを食べたり。
じーちゃんとお兄ちゃんと3人で自転車1台に乗って(2ケツでなく3ケツ)近くの港に行って、船外機をつけてるボートで近くの無人島に行って小さい砂浜(砂ではなくじゃりじゃりの小さい石)で暇つぶししたり。
セミ捕り、クワガタとりに行ったり、オニヤンマとりに行ったり。
神社の鐘の下にアリジゴクがいるから雨の時はそこに行ってアリジゴクにちょっかいかけたり。
ばーちゃんは畑して、洗濯して、梅干し作ってたり。
じーちゃんは竹とんぼと竹馬作ってくれたり。
私たちの他にも孫いるけどうちの親が夏休み中ほとんど預けてたんじゃないかな?だから他の孫達来れなかったのかも💦
ちなみに父親方のじーちゃんち。
叔父さんが結婚してじーちゃんちに住み始めて泊まる事もなくなってしまった私たち。
中学の時、じーちゃんが亡くなった時に寝てる私の所に来たじーちゃん。初金縛りはじーちゃんだと思う。
うちの両親は離婚。
お墓参りの時くらいしか行かなくなり
ばーちゃんも亡くなってからはほとんど行かず。
こないだGoogleMAPでじーちゃんち(現叔父さんち)を見たら…新しい家が建ってました🏠
GoogleMAPって何年か前から見れるようになっていて、家が建つ様子が辛うじてあったけどもう昔のじーちゃんちはありませんでした。
私は、あんなにお兄ちゃんとお世話になってたのに高校に入ってからほとんど行かなくなって今の所に住むようになってからもほとんど行かなくて。
ばーちゃんに偶然会った時は妹が乳がんで入院している病院の待合室でした。(あ、亡くなる前ね)
妹の所から上の子(3歳)連れて実家に戻る時、
車椅子に乗ったばーちゃん、え?あればーちゃんじゃん

2度見




記憶のばーちゃんよりずっと小さくなってました。
ばーちゃんはもう私の事は覚えていなくて、私が父親の名前)の娘の○○だよー!って言っても、その弟である叔父さんの名前を出して、△△が東京から帰ってきてねー一緒に住んでんだーと嬉しそうに話してました。叔父さん帰ってきたのだって私が小学生の時だから…ばーちゃん認知症なのかと初めて知ったのでした。
その時はばーちゃん1人だったけどもちろん誰かが連れてきてる、それは私の従兄弟だったんだけど…その子が小さい時にしか会ってないから面影でわかった感じでした。
不審者に思われないように笑
一応叔父さんの名前と元父親の名前告げて身内アピール



この時ばーちゃんと偶然会ってたんです。
後日お見舞い中に看護師さんから△△さんから電話で聞かれたけどどうしますか?と言われ…
息子から聞いた叔父さんがかけてきたそうです。
結局叔父さんとも久しぶりに妹の病室で会うことになったりしたなー。
じーちゃんは私のお兄ちゃんを可愛がっていて(母談)
ばーちゃんは末っ子の叔父さんを可愛がってたみたいです。
叔父さん帰ってきた事、知らない人(孫の私)に話したいくらい嬉しい事だったんだなーと。
色々楽しい田舎の夏休み体験を私はしているんだけれど…、うちの子達は実家も、じーちゃんちなんて全然連れて行ってないし記憶には今の住んでいる所での思い出だけかなーと思うと悪いことしたなーと思った夜でした。
また着地点のない話となってしまいました💦