1月12日に、1月の学び場を開催。今回は八尾市で2年前に発見された由義寺について。
正直、由義寺で見つかった塔の遺構としての残りはよくなかったが、それでも当時の様子を少しでも分かりやすく伝えるために、2つのイメージ画を作成。
その一つが、話題にもなった一辺20mの塔の基壇跡。
現在、七重の塔はどこにも現存していないが、七重の塔であった東大寺や各地の国分寺の基壇と比べても遜色ない基壇の規模から、由義寺も七重の塔であろうと想定。
さらに由義寺を建てた称徳天皇は、父親の聖武天皇から引き継ぎ、東大寺の東塔の建立に関わっているが、この東塔が一辺24mの基壇で100mの高さと言われているので、それを少し小さくしたイメージに。
協力は、奈良文化財研究所の箱崎先生で、実際に絵を描いてくれたのは、文化財のイラストをたくさん描いている早川和子先生。
この3人でいろいろやり取りをしながら、完成させていったそうだ。
その他にも、由義宮で行われた歌垣のイメージ画も作成。
こちらは、続日本紀に書かれた記載を参考に。
ただ由義宮で開催した説と、博多川(現在の石川付近?)で開催の2つの説があるが、今回は完成した由義宮で!という説を採用して、イメージ画を作成。
歌垣については、京都女子大の瀧浪先生に協力してもらって完成したそうだ。
他にも、出席者の候補や服装の色など、細かい設定も検討しながらの製作。
参加者も熱心に聞いてくれた。パッと見たら、へ~こんな感じか~の復元画、イメージ画だが、実は結構検討されたものであることが分かったと思うぞ。
他の博物館で展示しているいろんな模型もイラストもいろいろ検討を重ねたものがあるから、是非、そういう細かい部分も意識しながら見て、楽しんでくれ!
次回は2月2日に「古代から近世へ、八尾の街道の移り変わり」だ!こちらもよろしく〜