学び場「記録に残った八尾の地震」を開催したぞ! | ハニワこうていの世界征服ブログ

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10月6日に、しおんじやま学び場「記録に残った八尾の地震」を開催したぞ。講師は、八尾市文化財課のみなもと先生。皆、関心のあるテーマだったようで38名の参加者があったぞ。どうもありがとう!

 

 

最初に地震のメカニズムについての話があった後に、日本書紀や発掘調査で分かった地震の話。

八尾市の久宝寺遺跡や植松、志紀遺跡では、「墳砂」という液状化現象が起こった痕跡が見つかっている。

 

特に久宝寺遺跡では、弥生時代の地震や、記録が残っている最古の南海トラフ地震である「白鳳南海地震」の噴砂、1594年の慶長伏見地震など、いろんな時代の地震の痕跡が残っているそうだ。

 

 

 

 

また文献の記録では、八尾市内の常光寺に1510年に河内で大地震があり、寺の建物がことごとく倒れたという記録があったりする。

 

その他にも、南河内にある大ケ塚村(現在の南河内郡河南町)で、酒造りなどで成功した「河内屋 可正(かわちや かしょう)」という人が書いた記録には、1707年10月に起こった南海・東南海・東海の連動型の地震「宝永の大地震」で、大ケ塚村の建物はもちろん、河内の被害についても書かれている。

 

その中で、

久宝寺村の700軒中300軒余が崩れた…
大信寺は台所崩れて火事で焼けた…
慈願寺や萱振の寺は残らず崩れた…
弓削で無事な家は10軒で、62軒は崩れた…


など、想像するだけでも恐ろしい被害があったことが書かれているのだ。

でも逆に考えると、ここに書かれてなかったら、現代に伝わっていなかった…そう考えると、記録・伝えることの大切さを感じるな。

 

それは当時の人も感じたようで、1707年の「宝永の大地震」から約150年後の1854年に起きた「安政の大地震」では、その教訓が生かされなかったようで、それを悔やみ、次の時には忘れないように…という石碑が大阪市内に残されている。

 

「大地震 両川口 津浪記石碑」について

http://www.city.osaka.lg.jp/kyoiku/page/0000009171.html

 

この石碑のことを知らない者は、是非リンク先から見てほしいが、安政の大地震の次に起きた南海トラフの地震が1944年の「昭和東南海地震」、1946年に起きた「昭和南海地震」だ。

戦前・戦後で詳しい記録が残っていないが、その頃に生きていた者もだんだん少なくなる現代。あと20~30年経てば、昭和の地震から100年ほどになる。100~150年周期で巨大地震が起こっているので、いずれは起こるのは間違いない。

 

ただ、それが20年後かも知れないし、80年後かも知れない。不安をあおる訳ではないが、いつかは必ず起こるもの。

そして、起きた時には大きな被害が出る。

 

また南海トラフの地震だけでなく、先日の大阪北部地震のような直下型の地震も当然起こる。

残念ながら地震は、人の人生の長さと違うスパンで起こるので、個人の経験ではなく、歴史としてどう知恵を重ねていくかが重要なのだ。

まさしく「歴史を知ることの大切さ」を身に染みて感じた講演会であった。

 

講演会の参加者からも「こんな話知らなかったのでよかったです。もっと多くの人にも知ってほしいので、是非地域の会でもしてほしいです」と言っていたぞ。

 

ということで、このブログでもいつもより少し詳しめにしてみた。

そんな学び場であった。

 

来月は11月3日(土)に学習館館長の「心合寺山古墳と八尾の古墳」だ!こちらもよろしくな~ 

 

 

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2018年10月 しおんじやま学び場
八尾市制70周年記念 シリーズ八尾を知る⑥
「心合寺山古墳と八尾の古墳」

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【内容】市制施行70年を記念したシリーズ。11/3は「関西文化の日」ため展示室観覧料が無料なので、展示室と心合寺山古墳と見学します。また午後3時より、希望者のみ周辺の古墳or史跡も見学します。
【日時】 2018年11月3日(土)14時~15時ごろ(受付13時半から)
【場 所】八尾市立しおんじやま古墳学習館
【講 師】福田和浩(八尾市立しおんじやま古墳学習館 館長)
【対 象】どなたでも
【定 員】30名
【参加費】無料
【申込み】不要(当日受付、先着順)