学び場報告。大阪市加美遺跡・弥生時代のお墓の話。 | ハニワこうていの世界征服ブログ

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ハニワ帝国のこうていが、世界征服に向けて、本拠地である八尾市立しおんじやま古墳学習館で、日々どのようにして、地道に?国民を増やす活動をしているかのブログ

10月1日は、しおんじやま学び場「大阪市 加美遺跡~河内平野の弥生王墓~」として、この遺跡から見つかった「Y1号・Y2号墳丘墓」という弥生時代のお墓の話であった。

 

講師の先生は、帝塚山学院大学非常勤講師(考古学)の田中清美先生。

長年、大阪市で遺跡の発掘調査をされてきた先生だ。

 

 

この日もたくさんの者が学び場に参加してくれた。感謝だ!

また、J-COMもデイリーニュースも先月に続き取材。これまた感謝だ!!

 

 

で、講座の内容は・・・

・大阪市平野区にある加美遺跡で見つかったこの墳丘墓は、八尾市の久宝寺のすぐ西隣にあって、同じく八尾市にある亀井遺跡と同じ弥生時代中期のもの。

・墳丘の大きさは南北21m、東西10m、まわりの溝を入れると南北41m、東西34mもある近畿地方を代表する巨大なお墓である。

 

・墳丘の上からは、23基の木棺が見つかっているが、墳丘や棺の方向が南北方向、東西方向にきれいに並んでいるため、天体観測をして、方角を意識して造ったことが考えられる。

・出土した土器は、60%ほどが河内で作られたものであったが、その他は、周辺の地域から持ち込まれたものであり、いろんな地域の人と交流があったことが考えられる。

 

・棺から出土した銅釧(どうくしろ…うでわのこと)は、円環型銅釧という珍しいもので、朝鮮半島のお墓からも見つかっている。

・墳丘の中央にある棺は、木棺のまわりに板がある2重構造になっている珍しいもので、これも朝鮮半島に同じようなものがある。

 

・方角を意識していたり、珍しい銅釧や木棺などから、朝鮮半島や中国の影響が深い。

・被葬者は、南方にある亀井遺跡にある大きな集落の首長の可能性がある。

 

これ以外にも、意図的に廃棄された木器の話など、たった1つのお墓の話であったが、考古学の研究で、いろんなことが分かる非常に興味深い話であった。

 

 

ちなみに、来月11月の第一土曜日は、兵庫県立考古博物館で開催される「古代体験フェスティバル2016」に参加するため、学び場はお休みだ。次回の学び場は、12月3日「はじめてでもわかる!八尾市の古墳」だから、よろしく頼むぞ!

 

古代体験フェスティバル2016

http://www.hyogo-koukohaku.jp/events/p6krdf00000067b2.html