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ナセバナルトモ

フリーライターとして夢を追いつつ、苦手な家事をテキトーにこなし、二人の子どもと笑って泣いて。うまくいかないことも多いけど、信じる言葉は「ナセバナル」。主婦ライターの明日はあかるい。たぶん…きっと…ぜったいに!!

唐突ですが、おかやどかりって知ってますか?


日本では、沖縄に多く生息していて、

天然記念物に指定されてる やどかりの仲間。


我が家に その おかやどかり君が来たのは

今から4年前のこと。


うまく育てれば 20年近く生きるという おかやどかり。

脱皮のたびに大きくなって、

今は直径5センチくらいの貝殻に入ってます。


成長したら、自分の体に合った貝殻に引っ越しをするんですけど、

それが 一大イベントで 楽しいんですよ。


好みもはっきりしてて、

ウチのは 地味~なサザエ系のものにしか入ってくれません。



通販できれいな貝殻を たくさん買って 水槽の中に入れるんだけど

ま、思うようにはいきませんね。


このおかやどかり、

デカいのは直径10センチくらいの貝殻を背負ってて、

結構グロテスクになっちゃうんです。


でもまあ、それも楽しみかな。




おかやどかり君の他にも

我が家にはお祭り金魚ちゃんが2匹います。



去年の夏祭りで息子がすくった金魚で、

最初は2センチくらいの極小サイズだったのが

今では8センチくらいまで 育ってます。


お祭り金魚は弱くてすぐ死んじゃうっていうけど、

ちゃんと冬も超えたし、意外と丈夫でしたよ。


朝になったら、水面を尾びれで ちゃぷちゃぷ叩いて

水音で 「エサくれ~」って催促するし、

かわいいです。



おかやどかりも 金魚も、

子どもたちが 「ほしい~!」って言うから飼い始めたんだけど

結局 私が世話役になっちゃうんですよね。



今までだと、カブトムシ、クワガタ、おたまじゃくしにザリガニ、カエル。




面倒だと思いながら、

だんだん愛着がわいてくる。

カブトムシの幼虫も かわいいって思っちゃいましたから、自分でもコワイ。

あ、カエルだけは カンベンしてほしかったかな。



さっき 金魚の水替えをしたばかりなんで

今日はこんなブログになっちゃいました。

仕事もがんばらねば…。

2月某日、京都で人材コンサル系会社の取締役と

会ってお話することができました。


ベンチャー企業で勢いがあり、話の端々に


自分たちの手で、クライアントを変えていく,

社会を変えていく。


という情熱が感じられ、一緒にいるだけで充電してもらえた1時間でした。


その中で思ったのは、


仕事は自分で創造していける


ということ。



お会いするまでは、求人媒体でお手伝いできれば…

なんて思っていたんですが、


やりたいことがあったら、どんどん提案してください。

ベンチャーなんで、いい企画はどんどん取り上げていきたいので。


と言われ、目からウロコがおちました



そうか、仕事は創ればいいんだ!



それからは、あれもしたい。これもしたい。って思えてきて…。

ホントに、モチベーションが一気に跳ね上がった1時間でしたね、



下の子が小学校に上がってから5年間、

「仕事を再開して、収入を得ること」に、とらわれ過ぎていたのかもしれません。



仕事の量じゃなく、これまでの自分を生かせる仕事をしていこう。

これからの生き甲斐につながる仕事を 自分で創り出していこう。



そう思えた一日でした。



次の日から、頭の中に浮かんだ企画を形にしていく作業が続きました。

3月19日の今現在、やっとそれがまとまりつつあります。



これも、ダメモト。当たって砕けろの精神です。

3月いっぱいは、とてもお忙しい方なので、4月になったらプレゼンする予定。



さて、それ以外にも営業活動は続きます…

人材コンサル系会社のビジネスブログに

「外注ライター大募集」の文字をみつけた私は、



「これだ!!!」



と、即コメントを送りました。


その会社のベンチャービジネスに興味があること。

応募の時期を逸してしまったけど、ニーズがあれば役に立ちたいこと。

長年、人材ビジネスのライターをしてきたこと。


ブログのコメントなので、長々とは書けないから、

ホントの要点だけ。



まぁ、ダメモトなので 期待はしていなかったんです。

それが、コメントを送った翌日、PCにこんなメールが…



「現在、募集はしておりませんが、

あなたの経歴にとても興味がありますので、

ぜひお会いしたいと思います。」



よっしゃ~~~!



いきなり 道が拓けた気がしましたよ。

まだ、仕事につながるかどうかも わからないけど。



で、思ったんです。

それまでに応募したけど反応がなかった会社と

何が違ったんだろう?って。


だって、前の2社は、ちゃんとライターの募集をしていたんですよ。

業務内容に人材関係の 社内報とか会社案内とかあったし…




違った点はひとつでした。



前の2社には、私がやってきた実績を 余すことなく書き立てたけど、

ブログのコメントには、必要最小限の「人材系」の実績だけを書いたこと。



「いろんな事をやってきました。何でもできます。任せて下さい。」

って言われても、会ったこともないのに信用できませんよね。

「ホントに~?」って思われるだけ。



人材サービスの大手で4年間、制作編集を担当し、

独立後は10年、求人関係のライティングを経験。取材は500件以上…



コメントには、人材関係の仕事以外の実績については、一切触れず、

専門性だけをアピールしました。


「何でもできる」 より 「これなら負けない」

その方が、よっぽど信用できる。



これからも続くクライアント開拓の ポイントが

ひとつ分かった気がします。



さあ、次は面談です。




10数年前の新潟時代は、

仕事をさがすのも 大変でした。


近くにどんな制作会社があるかわからないから、

本屋に走って、雑誌を買いあさって…


それを思うと、今はなんて便利なんでしょう。

ネットでさくさく検索できる。



まず、「外注ライター募集」で検索。

そしたら、出てくる出てくる。

なんだ 楽勝~~


って喜んだのも 束の間。

そのほとんどは、首都圏なんですよね…


関西圏もあるにはあるけど、

こうみると、やっぱり日本の経済は東京にあるなぁ

って思います。

特に、出版関係は。



とはいえ、関西には関西のニーズがあるのも当たり前。

数こそ 首都圏には及ばないけれど、

募集がないわけじゃない。



もともと 企業取材の経験が多い私は、

外注スタッフを募集してる会社の中で、

会社パンフや 社内報なんかを扱ってるところ2社に

応募のメールを送ったんです。


それが1月半ばのこと。



でも1週間経っても、10日経っても、反応はなし (泣)



そう簡単には いかないもんですね…



そこで、今度は一番得意とする 「リクルーティング」で検索してみることに。

今のご時世、求人数は減る一方だし、

そもそも それで私の仕事も激減したんだから、

求人関係の会社が 外注を募集してるとも思えなかったけど。

でも、こうなったら 藁にもすがる思いなわけで。



「リクルーティング」に「求人ライター」、「人材」「採用」…

思いつく限りの 検索ワードを試してみました。

すると



「お?」




と思うサイトに行き当たったんです。


それは、ある人材コンサル系の会社の

取締役のビジネスブログ。



「外注ライター 大募集!」のタイトルが。



ただし、日付は去年の10月…。

募集なんて とっくに終わってるはず。

この不況の中、状況も変わってるだろうし。



だけど、迷ってる場合じゃないんです。

「ダメモト」で 当たって砕けるのみ!!


さっそく、そのブログのオーナーにコメントを送りました。

さて、どうなった?




ライターの仕事が、順調に入ってきていたんで、

大事なことを すっかり忘れていました。

フリーでやる以上、忘れちゃいけないこと。


それは、クライアント1社だけに頼らないこと。


そこからの発注が止まったら、

それまでいくら稼いでいても、もうゼロですからね。


去年の頭あたりから、ヘンだなとは思ってたんです。

仕事が減ってるぞと。


そうです。不況のあおりです。


それまで、ひと月に少なくとも20万円近くはあった仕事が

夏頃には 激減!!



幸い、我が家の家計は、主人のお給料が軸なので、

「ヤバいなぁ~ マズいなぁ~」

って様子を見るに とどまってたんだけど、


さすがに年末あたりから


これじゃ いかん!!

と焦ってきまして…。


策は何もなかったけれど、

とりあえず、また 『はじめます宣言』 を出すことにしました。


来年は、新しいことに挑戦します!

売り込んで 売り込んで 売り込みまくります!


今回は、まずライター仲間の先輩に

それから シングルマザーの友達に。


気まぐれや 道楽で言ってるんじゃなくて

真剣なんです!っていうのを、公言しとこうと思って。


これで、もう逃げ場はありません。


2009年の正月明け、

こうして、新しいクライアントを開拓するための

地道な営業活動がスタートしました。

何の仕事でも同じだと思うけど、

5年間のブランクって

かなり大きい。


しかも、関西に越してきてからは

子育てひとすじ。

な~んの仕事もしてなかったんだから

すぐに ライターの仕事にありつけるはずもないし。


5年も のんびり過ごしていると、


今さら頑張んなくても、もうこのままでもいっか…


なんて甘いささやきも聞こえてくるんです。


これは マジ ヤバい!


そう思った私は、弱い気持ちに勝つために、


 『仕事はじめます宣言』 をすることにしました。



私: 子どもも小学校に上がることだし、

   そろそろライターの仕事探そうと思って~


友人A: え~、hannyってライターの仕事とかしてたんだ~。 

    何するの~始めたら教えて~。


友人B: やっと始める気になったか。がんばり~!


母親: そりゃ、がんばらんとね。仕事用のかばん 買ったげようか。



つまり、「やらなきゃいけない状況に、自分を追い込む作戦」です。



とはいえ、自信もなくなってるから、

新潟の時のように 「売り込み」 をする勇気はない。


そこで、まずは会社の中で、バイト感覚でできる仕事から探しました。


見つけたのは、Web求人サイトのライター。

Webの経験こそないものの、

求人広告に関しては、10年近い経験があったんで

一も二もなく 応募しました。


結果はみごと 採用。



とにかく、仕事を再開して、

「取材」と「書くこと」の勘を取り戻さねば!


週2,3回、西宮から新大阪のオフィスに通い、

取材に行ったり、パソコンの前にかじりついたり。


決して割のいい仕事じゃなかったけど、

ちょっとずつ勘と自信が戻ってきました。


そこで半年くらい働いたころかな、

突然、広島時代(フリーになってバリバリ仕事してた頃)の同僚から

連絡があったんです。


できれば、社長インタビュー記事の仕事、手伝ってくれない?


聞くと、私の「仕事はじめます宣言」が、

回り回って遠く広島まで届いていたよう。


言ってみるもんですよ。何でも。


そこからは、だんだん仕事量も増えていって、

他の仕事も 頼まれるようになって。


結局、新大阪での張り付き仕事を2年で辞めて、

フリーとしてコンスタントに仕事ができるようになっていきました。


下の子が4年生になる頃には

年収も300万円ほどに。


このままやっていけば大丈夫。


そう思ったんですけどね~。

現実は そうは甘くなかったんですわ…。





広島→香川→新潟

主人の転勤で、3,4年ごとに引っ越しをしてきた私。


フリーのライターなので、そのたびに、クライアントを開拓してきました。


でも、1歳と3歳の子どもを抱えて、

新しい土地で また新しく仕事を取っていくのって

ちょっと大変だったんですよね。


新潟から関西に引っ越してきたのはいいkれど、

いつ熱を出すが わからない子どもがいるのに、

「強気の売り込み」をする勇気は、

どうしても出てこなかったんです。


自分の都合で なんとかなるほど

フリーの世界は 甘くないですからね~。



それでも両立している人も いるけれど、

残念ながら、私には自信がなかった。

「突き進む道」を選ばなかったんです。



悩んで いつまでも後ろ髪ひかれてたら、

子どもなんて育てられない!


だから、決めました。

下の子が、小学校に入学するまでは、仕事はしないって。



え~と、それがちょうど10年前のことですね。

今のご時世なら、ちょっと違ってたかも。

ネットで在宅の仕事ができるから。

あの頃は、まだ その選択肢がなかったんですよね。



まぁ、でも、一度決めたら引き返さないのが O型(?!)


完全に割り切って、 

幼稚園や小学校のPTA役員に、子ども会の役員、

絵本の読み聞かせサークル…

もう、子育て まっしぐらですよ。


仕事と両立させてたら、どうだったかな…


って思うけど、子育て一本の日々も、

それはそれで、貴重な時間だったと思う私。


娘の幼稚園の参観日には、

いつも下の子をおんぶひもで背負って行ってたなぁ。



だから、関西に来てからは、完全専業主婦で通しました。


それが、正解だったか。間違いだったか、

正直言うと分からないけど、


5年が経って、下の子が卒園間近になったとき。

また ひとつの仕事と出会えました。


ブランクを越えて、フリーライターの仕事は上手くいったんでしょうか…。


上の子が生まれて 、

ふたりめの子が生まれるまでの 2年半。


私は子育てってものを なめてました…


娘(上の子)はもう、かわいいばっかりで

腹が立つことなんて ほとんどなかったし、


親のいる山口から とお~~く離れた新潟でも

民間の託児所を利用しながら

取材の仕事も 続けられたし。


でも、しかし、ところが、

ふたりめの息子が生まれたら

そんな余裕は どこにも無くなっちゃったんです。


同時に2つのことをするのが苦手だったのね、私。


30歳にして気づいた この事実。



それまでは、

娘がトイレットペーパーを 全部まきとっちゃっても

インスタントコーヒーを 床にバラまいて 遊んじゃっても

買ったばかりのシールを 顔中に貼って、

「おけしょう~」って上から口紅をぬっちゃっても、


怒るより先に 笑っちゃてたんだけど、

片方に 泣いてる赤ちゃんがいると もうダメ。


もう 何にもしないで!!

って叱っちゃうんですよね。



弟が生まれるまでは 何しても笑ってたママが、

急に怒りっぽいママに変わっちゃったんだから

今 思えば 娘も フビン…



しかも、娘のおむつ離れが なかなかうまくいかなくて

(別に 急ぐこともなかったんだけど)

なぜか私は、そのことばっかり気になっちゃって。


「となりのトトロ」のビデオを、 親子3人でみてたとき


「メイちゃんは ちゃんとパンツはいてるよ! もうおむつしてないよ!」


って本気で怒ったことも ありました (汗).。

あぁ、ホントにかわいそうな娘。



こうして 余裕のない日はつづき…

娘は幼稚園に通いはじめ、

息子も1歳になって、


さあ、育児休暇おわり~!仕事再開~!


と なれば良かったんですが、

ここで またまた主人の転勤。


あぁぁ 情報誌のお仕事が 無くなってしまう~



最初にフリーになった広島での仕事、

次に引っ越した香川での仕事、

そして新潟で 売り込んで売り込んで 手に入れた仕事

すべて 3,4年ごとに リセット。


これって、「なんとか なるさ」の私でも

さすがに 考えこんでしまいました。


この先、ライターの仕事って続けていけるのかな。

子育てだけで パニクってるのに、

新しいクライアント 探し出して 両立させていけるのかな…



新天地は 関西。

どうなっちゃったかは、また次回。







新潟暮らしも 3年目を迎え

おなかに赤ちゃんができた私は

仕事をへらして、

2歳の娘とのんびり過ごす毎日を送っていました。


ピングーとカエルと柱時計が大好きなウチの子は、

とってもマイペースなB型むすめ。


ある朝のことです。


「きょうはねぇ、ぞうさんになるね。」


と言った彼女は、キッチンからストローをもってきて

口にくわえ、そのまま何もしゃべらなくなりました。


遊ぶのはフツーに遊ぶんですよ。

お絵かきしたり、つみきしたり。


ストローくわえたままね。


お友だちとも一緒に遊びました。

おかあさんごっこで

もちろん ぞうさんの役。


さすがに お昼ごはんは食べたけど、

一口食べてはストローくわえ、また食べてはくわえ…


もともと おしゃべりな方じゃなかったけど、

何を言っても 「うん」と「ううん」しかいわないから

さすがに こっちがつかれちゃって、

夕方には 取り上げちゃいましたけどね。


買い物帰りに

アリの行列なんか見つけちゃった日には

しゃがみこんで、10分20分眺めてるなんてのはザラ。


家の近くに田んぼがあって、

春になるとその あぜ道に

1センチくらいの ちっちゃいカエルの赤ちゃんが

何十匹も出てくるんだけど、


それを 日が暮れるまで

いっしょうけんめい帽子の中にあつめてあそんだり。

(もちろん、持って帰るのはNGを出しました)


まあ、あげるとキリがないので

このあたりで。


あの頃は 私ものんびりしてたんで

ほとんど 叱ることはなかったです。(あの頃は!!)


あれから12年。

人間って そう変わるもんじゃないんですよね。

2日前、中学から帰った彼女は、

なんと学校の「上靴」をはいていました(汗)。



話を戻すと、

春が過ぎて 夏になって、

無事に 二人目の赤ちゃんを出産。

今度は でっかい(3800グラム!)男の子。


さて、ふたりの育児と仕事の両立は

うまくやっていけるんでしょうか…





新潟で、情報誌の仕事も軌道にのったころ、

おなかに 二人目の赤ちゃんができました。


もちろん すごく嬉しかったですよ。

娘には きょうだいをつくってあげたかったから。



ひとつ悩んだのは、仕事のこと。



実は、娘がおなかにいたときに、

4か月で切迫早産になって、2か月近く入院してたんです。

(早産の一歩手前の危険な状態ってことです)



定期健診にいったら いきなり

「入院です」 って言われて、その場で車イスにのってベッドまで行き、

2か月間はお風呂にも入れない状態だったから、

今回もそうなったらどうしようって思ったんですよね。




その時は、たまたま納品の後だったから、

クライアントにあまり迷惑をかけずに済んだんだけど、
今回も同じように 突然切迫早産とか切迫流産になると、

仕事を投げ出すことになりかねませんから。



正直、それが私の体質だとしたら、子どもの命を守りたかったし。



それで、本当に苦渋の思いで

「CARREL]の仕事を休むことにしました。

二人目で、頼れる親戚縁者もいない土地なので、

下の子が1歳になるまでは、と。



女が損だとか、男が得だとか、

そんなことは それまで考えたこともなかったけど

その時 はじめて



男だったら 妊娠も出産も育児も、

仕事にはなんの支障もないんだよな~



って、ちょっと悔しかったですね。


とはいえ、求人情報誌の仕事はひきつづき やらせてもらってたので、

「私は まだライター」 って思いながら、

2歳になった娘と のんびりとした毎日を送ることになりました。




ここまで あまり話さなかったんですが

娘がちょっと個性的な子で(14歳の今もですが)、

結構 笑える日々を過ごしていたので

今度は、ドタバタ育児記録を お話しますね。