昨日、おとといの記事に対して、多くの方からコメントをいただきました。一人ひとりお名前は出しませんが、本当にありがとうごいざいます。

 

 さて、私も、50年代、60年代の共産党内部の抗争と、粛清は経験ありません。また、その後の問題に対しても、一貫してヒラ党員だったので、直接、査問されたり、処分されたりはしていません。ただ、中央で大規模な粛清が行われた時には、その余波を受けたことはあります。

 

①新日和見主義問題(1972年)

 60年安保闘争後、壊滅していた全学連の再建、大学民主化闘争、70年安保、71年沖縄闘争などを経験して、青年・学生運動(全学連、民青など)は急速に組織人員を拡大し、運動の力量を高め、共産党からの自立の方向を強めました。これに危機感を感じた共産党中央が、青年・学生戦線の党員を共産党中央の統制下に置こうとし、それに従わない党員を粛清しました

 

②原水協、平和委員会、学者・文化人への粛清(1984年)

 1977年、原水協と原水禁は統一世界大会を開催することに合意しました。しかし当時は、労働戦線の再編をはじめ、社会党と共産党の対立が激しくなり、共産党は「自覚的民主勢力」の結集を目指していた時期でした。統一大会はこの方針に逆行するものであり、共産党は84年に、原水協、平和委員会の役員、それにつながる学者・文化人を粛清しました。

 

 さて今回、共産党中央は、党の方針に批判的な党員を洗い出し、査問と処分によって党から追い出すか、抑え込むかして批判を鎮静化しようとしているようです。

 この試みは成功するのでしょうか。

 

 過去の粛清も、特定の分派を結成していたわけではなく、自分たちの進めてきた運動が、国民にも支持され、党の発展にも寄与していると確信した党員が一定数いたというだけのことを、「分派だ」「反党分子だ」と攻撃したものでした。

 ただしそれは、共産党の中で特定の分野の活動をしていた人々であり、メンバーも限定されていました。他の党員は詳しい情報も入手できず、党中央が流す情報を信じて、「そんな動きがあったのか」「党中央に反対する悪いやつらがいるのか」と判断するしかありませんでした。

 

 今回の動きは、それとは様相を異にしています。

 

 第一に、

〇松竹、鈴木両氏の除名はおかしい。

〇大山奈々子さんの発言に対する、田村副委員長の結語はパワハラだ。

〇民主集中制は見直すべきだ。

〇選挙で3連敗したことの原因を深く解明し、責任の所在も明らかにするべきだ。

〇党勢の長期低落に、尻を叩いているだけでは前進しない。党の抜本的な改革を行うべきだ。

〇パワハラ、セクハラは各地で起こっており、党は適切な対応ができていない。

などの、党の現状に対する不満、批判が党員のかなりの人々に起こっている。これは特定の人々が先導しているわけでもなく、分派組織が作られているわけでもない。

 

第二に

 今はブログやXなどのSNSが発達し、誰でも自分の意見を発表する場、他の人と意見交換する場が整っている。これによって、自分一人の思いが、多くの人と共有できるようになった。

 

 こうした、今までとは全く違う、現在の党中央に対する批判を、特定の個人をあぶりだし、査問し、処分することで、抑え込めるのか。党中央も正念場だが、批判する側ももう一度決意を固める時が来たようです。

 

(この項、とりあえず終了

 新しい動きがあればまた書きます)