党大会で、松竹氏の除名に反対の発言をした、神奈川県議会議員団長の大山奈々子氏のことは、発言内容やプロフィールなども含めて多くの人が触れていますが、私も、私の視点で一言書いておきます。

 

 大山氏の発言は、しんぶん赤旗に掲載されただけなので、全体を見ていない方もいるかと思いますので、コピーしておきます(ただし赤旗の記事も要旨だけで、全文ではありません、あしからず)。

 

「次に、松竹氏の除名問題で顕在化した党内民主主義の課題についてです。昨年地方選挙前に松竹氏の著書が発刊され、その後まもなく彼は除名処分となりました。私は本をよんでいませんが、何人もの人から『やっぱり共産党は怖い』『除名はだめだ』といわれました。将来共産党が政権をとったら、国民をこんなふうに統制すると思えてしまうと。問題は、出版したことよりも除名処分ではないでしょうか。一時期人気を博した『希望の党』から人心が急速に離れたきっかけは、小池百合子都知事の『排除します』という発言でした。あのとき国民が感じた失意が、いま共産党に向けられています。異論を唱えたから除名したのではないと繰り返しわが党の見解が報じられていますが、そのあとには松竹氏の論の中身が熱心に展開されていますので、やはり『異論だから排除された』と思わせてしまうんです。この問題でメディアによる攻撃論が訴えられますが、攻撃の理由を与えてしまったのは党の判断である以上、党の判断に間違いがないというのであれば、わが党が民主的であるという証左として、松竹氏による再審請求を適切に受け止めて、国民の疑念を晴らすべく透明性をもって対処することを要望します。『除名』は対話の拒否に他なりません。排除の論理ではなく包摂の論理を尊重することは、政党運営にも求められています。」

 

 まず「私は本をよんでいませんが」という発言には、多くのみなさんと同様、私も驚きました。この人大丈夫かな、もしかしてガス抜きのためのヤラセ発言かな、と思いました。

 しかし大山氏のプロフィールを見たり、発言全体を改めて見直したりして、彼女が十分な準備をし、緻密に発言内容を吟味し、そして勇気をもって決断して、発言していることがわかってきました。

 おそらく彼女のまわりの党員の中では、松竹氏の除名はおかしいとの声が、かなりあったのだと思います。もしかしたら、地区党会議、県党会議で発言した人、次の段階の会議の代議員に立候補した人もいたかも知れません。

 しかし当然、その声は党大会までは届きません。その中で、彼女は県議団長ですから、党大会代議員の、県委員会からの推薦名簿に入っていたのでしょう。だから彼女は、自分個人の意見ではなく、まわりの党員の声を代表して、党大会で発言したのだと思います。

 

 彼女の発言で、私が強く感じたことを抜き出してみます。

 

◎「何人もの人から『やっぱり共産党は怖い』『除名はだめだ』といわれました。将来共産党が政権をとったら、国民をこんなふうに統制すると思えてしまうと。」

 

 田村氏が結語で「発言者が述べたのは、ただ、「党内外の人がこう言っている」、ということだけです。党内外の人が言っていることのみをもって、「処分が問題」と断じるのは、あまりにも党員としての主体性を欠き、誠実さを欠く発言だといわなければなりません。」と激怒した内容です。

 1月31日に私のブログ「感覚のズレについて」で書きましたが、共産党の、国民の意識、国民世論に対する態度は、

「多くの国民は、メディアなどを使って流される支配勢力の側の情報に、日々圧倒的にさらされている。だから、その攻撃を打ち破る理論と運動が必要となる。「国民の自覚と成長を推進」するには、理論と運動を担い、不屈性と先見性を発揮する党が不可欠だ」

というものです。すなわち、国民世論は耳を傾けるものではなく、共産党の理論と運動によって自覚と成長を推進するものである、ということです。

 大山氏の発言は、この党の方針とは大きくズレているので、田村氏が激怒したのも、党の立場からは当然と言えるでしょう。

 しかし大山氏の発言を読み返してみると、党の方針は知ったうえでの確信犯ではないかとも読めます。つまり、私は国民、県民の声を聴き、それを県政に反映させることが、使命と思って活動してきた、その活動のどこが悪いのか、と言っているように感じます。

 大山氏もまさか結語でパワハラというか、罵詈雑言を浴びせられるとは思っていなかったでしょうが、党中央の方針に真っ向から対決する姿勢を、まず示したのではないかと思います。

 

(書き始めたらかなり長くなってしまいそうなので、今日はここまでにします。明日以降に続きます。)