旧山陰街道の老ノ坂です…。
亀岡と京都をつなぐ国道9号線の裏に獣道があり
途中に明智光秀が
「敵は本能寺にあり」と意を決した峠があります。
「羽柴秀吉」のターニングポイントとなった“天王山”
頂上には山崎城址があります。
最初から狙っていなかったのか...!?
いろいろ説があります。
“天王山”中腹の「旗掛の松」付近から見た三川合流地域です。
『明智光秀』の軍が陣取る様子が見て取れたでしょう。
「勝竜寺城」から出て自らこの地に陣取り指揮をとりました。
SUNTORYの工場の裏手にある古墳の丘です。
別の「恵解山古墳」が
『明智光秀』の本陣といわれてきました!
しかし、今はこの「境野古墳」がその場所だということです‼
羽柴秀吉軍に囲まれ「勝竜寺城」から脱出した光秀ですが
「坂本城」に戻る途中、ここ伏見の小栗栖で
土民に竹槍を突き刺されたと言われています。
胴体が近くの川沿いに
首は京都白川の橋のたもとに埋められたと言われています!
もう一つの説「明智薮」
土豪の「飯田党」の竹槍で突き刺された場所です。
その後、薮から血が出たとかいわれています...南無ぅ
この辺りは「飯田」という姓が多いそうです
室町時代にあった
「小栗栖城」の飯田党は織田信長側であったらしいのに
『明智光秀』も当然知っていたでしょう!?
それなのに何故ここを通ったのか(。・_・?)ハテ?
わざわざ討ち取られる為に通るようなものなのに...
信じられますか...ヽ( ´_つ`)ノ ?
また、「飯田党」が天下人でもない『明智光秀』の顔
を知っていたんでしょうか!?
闇夜にどうやって顔を判別する事が出来たんでしょう!?
ここから南は何があった場所でしょうか!?
「天正伊賀の乱」
傭兵鉄砲部隊である“根来衆”や“雑賀衆”は
極めつけの反信長勢力です!
石山本願寺と組む精鋭の武装化集団であります。
南に行くと合流出来たかもしれません...
『明智光秀』が知恩院に葬ってほしいと言い残し
運ぶ途中で夜が明けたためここに埋めたそうです。
主君を裏切った謀叛人で三日天下...
世の中には様々な印象が広まっていて
残念ながら良い印象は少ないでしょう!?
しかし、それが全ての意見ではありません。
事実、『明智光秀』が築いた坂本城や福知山城、亀岡にも、
その城下に住まう民衆は『明智光秀』を慕う人が本当に多いですよね!
事実は決して真実ではありません。
物事を多角的に見るクセをつけましょう!!










