去年から、お寺や神社にお参りすることが多くなった。
今日も、仕事がなかったので、
電車で2時間ちょっとの有名なお寺まででかけた。
苦しい時の神頼みとよくいうが、本当である。
身内に病人が出ると、またそれが危機的状況だと。
できることは、「神仏に祈る」ことだけだなあと、つくづく思う。
最近の私は、とにかく行った先々でお参りする。
子どもたちがプロテスタントの幼稚園だったから、
祈ることも、抵抗はない。
教会があっても、祈りそうである。
祈りやお参りは、
何ものにも代えがたい行為であるなあと、
最近特に思う。
相手のことを心の底から思い、
少しでも良い方向にいってほしいと願うのだが。
現実は厳しいものだ。
相手が憎らしいと思ったことも何度もあった。
好き勝手なことを言って、
家族を傷つけても、
自分だけが不幸なんだから、
なぜあなたたちは、健康でいられるんだと、
開き直られ、
そういわれていても、どうしようもなかった。
やがて連絡もなくなり、頭にきて
距離をおこうと思った。
しかし最近は、おとなしいそうだ。
それもまた、不憫に思えてしかたがない。
病人がでたときに、やってあげられることは少ないなあ。
モノやことばや、行動では
何も十分に慰められないのが現実かもしれない。
それは、そうだろうな。
去年の私は、無駄なあがきをして、
余計に相手を傷つけていたのかな。
やれることをしてあげたいと、精一杯やったつもりだけど。
病気という洗礼で、
平凡な家族が、
窮地に立って1年。
無事来年が迎えられることを祈っている。