こんにちは

 

 

 

 

 

私たちは

 

このままじゃいけない


努力しつづけて、悪いところを直していかなくてはいけない

 

 

小さい頃から教えられてきた

 

 

 

って聞いていましたがほんとでした。

 

 

そうだよね、これはそうなるわと思った。

 

 

  

 

 



 


 

いちおう前置きしておくけど

 

何がいい、誰が悪いとかではなく…の話。

 

  

 

 


 

 

実家を片付けてたら

 

まだ出てくるものがあり

 

今日は小さい頃の絵日記と対面しました。

 

 

 

「へえーなかなかうまいじゃん」

 

「〇〇くんて誰だ?」

 

「方言使ってる笑」

 

などど微笑ましくパラパラと見ていましたが

 

 

 

なぜか最初の数文字に先生の小さい赤マルがついてて

(毎回)

 

 

 


最後にその理由が判明。

 


 

「はじまりがぜんぶ『わたしは』なので


もっとくふうしましょう」

 

と書いてあった!



 

えと。。。

 

一年生なんだけど。

 

 

 

 

 

 



 



 

 

全ページ書いてて

 

絵もしっかりクレヨンで色つけて背景も描いてて

 

ほぼ最後の行までうめてるんだが…

 

 

 

一年生にこれ言う!?!?

 

 

 

 

絵日記書くだけすごくね???



 



 



 

 


 

今から何十年も前のことだ。

 

先生も、先生の教科書みたいなやつに書いてあったのを参考にして添削したのだろう。

  

 

先生をうらむわけではないよ。



 



 

 

 

私は私で

 

言われたことはその通りやるタイプ。

 

 

ルールを守るのが生きがいっていったら言い過ぎだけど

 

決まりの通りやるのが安心。

 

 

 

…という性質。

 

 


 


今も基本そうだけど

 

 

そうじゃない部分も多分にあって

 

だからこんなだ(どんなだ)。

 

 

 

 

 



 

 

 

何が言いたいかっていうと、

 

「なるほどなぁーー」

 

と納得したということ。

 

 

 


小さい頃から

 

(行きすぎた言い方をすれば)

 

自分を否定するように仕向けられていたわけだ。

 

 

 

 

心がやわらかくて

「そうなんだー。じゃ、そうやろう」

って

 

何かの指示に

反射的にその通り行う「性質」の民は

 

 

「何か直すところはないかな?」

とか

 

「何かいけないところはないかな?」

とか

 

「これでいいかな?私が最初にやるやつはダメなやり方だよね?」


って思うようになっちゃうよなーー。

  

 


と感じたのです。

 

 

 

 

なので

 

その性質とか

自らをダメってしちゃうこと自体にはバツをつけずに

 

 

 


 

「自分のやり方はよくない。注意される」


みたいな思い込みを少しずつ手放していったらいいと思う。

 

 


 



 


 

 


確かに

 

何十年も生きてきた先生や

 

直木賞とるような文豪から見たら

 

 

「私は」で始まる日記は

 

 

「おめぇの日記なんだから主語『私』になるのは当たりめぇなんだよ!」

 

ってなると思うんだけど

 

 

 

コドモ。だからね。

 

 


 

 

 

そう。

 

コドモが文豪に直されるみたいな

おかしなハナシなのだよ。

 

 

 

あなたはあなたのままで。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

父がつくった作業小屋に入って汚れたスニーカーをコインランドリーで洗ってたらちょうどこのブログが書けました。

 

読んでいただきありがとうございました✨