美STORY8月号 | そういえば、昔は文学少女でした。

そういえば、昔は文学少女でした。

クリスマスと誕生日に一冊ずつねだった、「世界少女名作全集」。図書室の本を全部借りよう、と思ってた中学時代。なのに今では読書時間は減る一方。ブログに書けば、もっと読むかも、私。という気持ちで始めます。洋書から雑誌まで、硬軟とりまぜ読書日記。

このところ続いているドヨ~ンとした不快感。梅雨の湿度と、過労と、ちょっとお酒と・・・によるものだと思ってたんだけど、この雑誌の影響も大きい気がしてきた。

「なんだかあんまりだ」と思って2週間放置していたのですが、やっぱり何か言わずにいられないので、ここに書くことにします。


こんな時代になっちゃって、若い子がシュンとしちゃって、相変わらずバブル世代だけが消費欲も盛んで元気だ、ってなことを、ずっと繰り返し、仕事で言ったり書いたりしてきてました。


自分がその世代の一端を担っているという気恥ずかしさはありつつも、好奇心旺盛で、常に楽しいことを求めていくことは、決して悪いことじゃない。「不惑」なんていわれたのはずっと昔の時代のことなんであり、いくつになったって惑って迷って、いいじゃないか。下の世代から嘲笑されたって、元気でいこうよ同世代、と思ってたんだけどね。なんかこれは・・・違う。


直接の引き金は、読者のヌード特集。ワイドショーとか週刊誌で、ザワッと話題にもなってるみたい。

いったい何で、シロートの奥さん、お母さん、お姉さんたち(アッパー40)が、不特定多数の読者の前に、全裸を披露しなくてはならないのか。それも女性誌で・・・

いやそれは皆さんキレーだし、おそらく真剣にダイエットしてエステに通って体磨いて、当日はプロのヘアメイクがついて一流カメラマンが撮ってくれたのでしょう。別に見苦しいことはない。でも、この中途半端なキレーさが、かえって微妙。しかも、草刈民代の完璧ボディ(服は着てるが)を掲載したページの直後に、これですよ。

黒バックに裸ん坊で、そしてなぜか皆さん黒のピンヒールをはいている。


編集部の狙いは何なのでしょうか。私たちはなぜ、こんなものを見なくてはいけないのでしょうか。あこがれるべきなの?嫉妬すればいいの?共感したほうがいいの?


そして、応募殺到したという読者の皆さんたちの真意は何なのでしょうか。わからない私がダメなのでしょうか。

「夫も応援してくれてます」ってのも「?!」だけど、「ナイショで驚かそうと」っていうのもびっくりだ。私がもし夫だったら、思春期の娘だったら、「ママね、ほら、見て、ヌードになったのよ♪」って掲載誌見せられて卒倒しそう。

会社や学校に行けなくなりそう。


人生をリセットしたい、っていう願望はわからなくはないけれど、それで服を脱ぐの?他に方法はないの?

女優が映画で裸になったりすると、よく「この役では脱ぐ必然を感じたので、抵抗はありませんでした」的なコメントを発表したものだけど、この場合、皆さんの「必然」とは何・・・ですか?


そして別にヌードだけじゃなくてね、辻仁成氏がサラサラのロングヘア姿で真剣に「もっともっと美しくありたい」と語る対談も怖いし、「嵐に恋せよ、更年期!」っていう特集も恐ろしい。(ジャニーズの嵐に恋焦がれることで、女性ホルモンが活発に分泌されて体調がよくなるらしい・・・)

メイン特集の『「ぶちゃいく」脱出作戦!』というのも凄まじいです。読者45人が、どうやって「ぶちゃいく」(不細工)から脱却したか、ってことなんですが・・・さらに、なぜか表紙のSHIHOちゃんまでが、いつになくエロい表情で素肌にスケスケニットで露出している不思議。


そうそう、美STORYのキャッチコピーは、「ニッポンの40代はもっともっと美しくなる!」っていうんだよね。なんつーか結論として、ああ、私はもう無理だ、そこまでして美しくならなくて結構でございます。さようなら、という気持ちです。というか、「美しくなる」ことの意味は、それなんですか?ってことが言いたいのかも知れない。

肉体的キレーだけを、血眼になって追い求めて、虚しくならないのかなあ。精神の美しさとか、枯れてゆくことの大切さ、とかそーいうのは爺の言うことですかね。私には明治のおじーさんが憑依しているのかね。


かの特集で裸になった当事者の方が万一これを読んだら、不愉快な気持ちになるかもしれません。その場合はどうかお許しを・・・