- 中原中也詩集 (角川文庫)/中原 中也
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理数が得意で文系は苦手、っていう人がよく、「だって国語の答えはひとつじゃないから」と言う。子供の頃それを聞くたびに、私は不思議に思ってた。「国語だって、正解はひとつしかないじゃん」と。
テストに出てくる「なぜ作者はここでこういう言葉を用いたのか書け」とか、「このときの主人公の心情を説明せよ」とかいう質問に、戸惑った記憶はほとんどなくて、いくらでもすらすら答えることができた。
今思い返せば傲岸不遜もいいところなんだけど、因数分解で出てくる答えと同じような感覚で、作者の意図や登場人物の心情が解ける、と本気で思ってたのです。
高校時代も、総じてパッとしない成績の中で、なぜか現代国語だけ学年トップだったりして、(古文や漢文は覚えなきゃいけないことが多すぎて、勉強してもよくわかんないの)、先生方はさぞやりにくかったことでしょう。自分と違う「解釈」を持ち出されると猛然と反抗して、「先生の言ってることは絶対に間違ってる」とか論破したりしてたな。最悪。恥ずかしすぎる・・・いびつな文学少女のなれの果て、ですね。
まあそんなのの延長で、大学で日本文学を専攻して、入ったゼミが「中原中也と小林秀雄研究」だったのです。
そのことを自分でもすっかり忘却してたのが、先日ある方と話してたとき、「中原中也のゼミでした」と口に出したことでやっと思い出したんだわ!そうか、私、中也が好きだったんじゃないか!って。
さて書棚をひっくり返して探して、出てきたのは古びた文庫本。初版昭和30年、再版も31年の角川文庫ですよ。河上徹太郎編、定価70円ですよ!さすがに私が買った本じゃないよ。亡き父に譲り受けたものじゃないかこれ。
ああもうそれだけで涙が出る。電子書籍がどんなに便利になったって、この哀愁を醸すことは不可能ですね。
ええと何が言いたかったのかというと、とにかくパズルのように文学が解ける、と信じていた生意気娘の私は、ゼミでもその本領を発揮して、「中也の作品に繰り返し出てくるこの黒い旗は人生における何ちゃらの暗喩で・・・」とか、意気揚々と解釈をぶって悦に入ってたんですね。白茶けたページをめくると、その当時のことが次々に甦って来て、教授に盾突いたことも思い出され・・・そして今、私はハタチそこそこの私に問いたい。「あんた、ほんとにわかってたつもりだったのか?バッカじゃないのか?」と。
詩をパズルになぞらえるなんて、全くもってナンセンス、だよね。
改めて中也の詩を読んでみて、諳んじている詩がいっぱいあったことにわれながらびっくりしたけど、そこから見えてくる風景は、当時と全然違う、ということにもっと愕然。理屈抜きに、心の感じるままに、詩を読む、ということは、「正解を見つけるために、解釈を下すために読む」こととは、別の次元のことなんですよね。今頃気づくな!!遅い!
30歳で早世した詩人の言葉は、70余年たった今でも色褪せることなく朽ちることなく、新鮮な感情を与えてくれます。花冷えのこんな日に、ふっと詩集など読んでみるのも、いいものです。
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春宵感懐(「在りし日の歌」より)
雨が、あがつて、風が吹く。
雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵。
なまあつたかい、風が吹く。
なんだか、深い、溜息が、
なんだかはるかな、幻想が、
湧くけど、それは、掴めない。
誰にも、それは、語れない。
誰にも、それは、語れない
ことだけれども、それこそが、
いのちだらうぢやないですか、
けれども、それは、示(あ)かせない・・・
かくて、人間、ひとりびとり、
こころで感じて、顔見合せれば
につこり笑ふといふほどの
ことして、一生、過ぎるんですねえ
雨が、あがつて、風が吹く。
雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵。
なまあつたかい、風が吹く。
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