たたなづく青垣 山篭もれり やまとしうるわし まさに大和は国のまほろばである 大和で生まれたわけでないのだが、倭建命が歌によんだ心情には深く寄り添うことができる

 振り返ってみればこの大和平野の東の端、たたなづく青垣の山々の麓にあるこの街には多くの縁をいただいてきた 多感な4年間をこの街で学び、その後の人生の大きな礎となる学びや経験、出会いをいただけた

 しかし、それだけではない 小学3年生の12月のことだった 街中の小学生が集まっておこなう音楽会が街の中心の小学校の体育館であった その日の朝、母がそっとボクの耳元で囁いた「今日、お父さんが大きな手術するんやで でも、頑張って学校へ行っておいで」と 訳もわからずそれこそ元気に学校へ行って、音楽会での合奏ではみんながリコーダーを吹く中、数少ない独奏楽器鉄筋を華々しく弾いていた 後日わかったことだが、父は末期癌で最初に町の医者から紹介された松阪の大きな病院からは「うちでは無理です」と見放され、すがる思いでたずねたのがこの大和の大きな病院だったのだ なんとか父は手術してもらい、私が中学3年生になる9月まで生きることができた 何度かこの病院を母と姉とまだ本当に小さかった9つ違いの弟と見舞いに行った やさしく穏やかな父であったが、病いの中では人が変わったように私にもつらくあたった 早く逝かなければならないことがむなしかったのだろうか いやそんなことはわかろうはずがない…

 還暦の年にこの病院のお世話になっている 病院にはほとんど世話になることのない人生を歩んでこれた 強いからだと心を父母やそれに連なる祖父母やご先祖様のお陰でいただけたということだろう いただいたものの大きさをいかしきれずにきてしまったなあ…  毎年受けてきた人間ドックというもので自覚症状はほぼないものの体の不調を見つけてもらい、入院して早めの治療をしていただいた 

 病棟の10階の病室から眺める国原は穏やかで淡く包まれており、国原を囲む山々はまさに青垣である