何かの力がはたらいて… | 日々に、折々に…

日々に、折々に…

折々に浮かびくることをとりとめもなくつづってみました 風の音を聴きながら…

 棒振りのうちでもこんなことが囁かれる 

 「すごい演奏だったよ 何かに取り憑かれたようにみんなが、わーっとなってさ…」こんなことは滅多にでくあわさないのだが、たしかにこんなことはあるらしい ほんとうにいい演奏というのは人智を超えたところで起こるのかもしれない

 他の分野に目を向けてみてもそんなことはある いわゆる「利他」といわれるものだろう 言葉にするのはとても難しいのだが、無作為なところに大いなる力が宿ってしまうようなこともその一つだろう キリストにしても、孔子にしてもそのようなことを感じさせることを弟子たちに言い残している 日常的な作為の積み重ねがその境を超越した時にそのような領域に入るようにも思える けれど「利他」は利他でありたいと思った瞬間に利己になってしまう 

 かつて関根勤が長嶋選手のモノマネをやって大衆の笑いをよんでいた 「ボールがずーっとくるでしょ そしたらね、バットをね、ずーっとだしたらね、ボールがね、カキーンとね…」これを天才長嶋のなせる技だと大方の人は微笑みながら見つめていた 誰もができるわけではないと… しかし、よく考えてみると、いや、息子一茂との特訓のビデオやのちのイチロー選手のルーチンワークを見るにつけ、天才長嶋は徹底的に体に覚えさせ、「打とうとする」という作為を超越したところにあの「スーッとくれば、バットをスーッとだす」という境地に至ったのではなかろうか つまり、意思を超えたところに野球というものを見たのではなかろうかと思う

 翻って、与えられた時間の中で必死に変化を呼ぶポイントをさがしているかのような棒振りの仕事だが、やはり毎日毎日聖人の後ろの後ろにでも加えてもらっているかの心持ちで、音楽というものに向かい合うことなのかとも思う今日この頃である むむむ…