「たねをま く」といえば、「種をまく人」を連想し、ミレーやゴッホの絵画を思い浮かべる人も少なくあるまい それらをもとにした、また踏まえた文学作品や映画なども結構あってその影響力の強さを改めて実感するところだ
「たねをまく」というどこでてもつかわれることばが、何処か言葉の概念にまで影響を与えているとまで思うのだ たねをまかないと実を結ぶことはなく、わたしたちの命をつなぐものとはならない
イエスキリストはこの「たねをまく人」を例えとして次のように語ったとルカによる福音書には記されている 「たねをまく人が種まきに出ていった 蒔いている間にある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、鳥が食べてしまった 他の種は石地に落ち、芽は出たが水気がないので枯れてしまった 他の種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて押しかぶさってしまった また、他の種は良い土地に落ち、生え出て、100倍の実を結んだ」このイエスの語ったことは多くのことを示唆していて、「たねをまく人」ということばをこのルカによる福音書のエピソードを踏まえて使う人が多いのである
「たねをまく」 良い土を準備して、たねをまき、日光と水分を十分与え、生長を妨げる雑草をひいたり、鳥や獣に荒らされないようにまもる すべてが大切である しかし、何の種を蒔くのか また、どのように育ってほしいというイメージを巻き育てる人は持たねばなるまい 育つ側が意志を持ちどんどんと違う姿となっていくこともままあるのだから
それでも、種を蒔く人となろう