不安の中を生き、カトリック信仰を貫いたバード | 日々、折々…

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折々に浮かびくることをとりとめもなくつづってみました 風の音を聴きながら…

 16世紀後半から17世紀前半にイギリスで活躍した天才ウィリアム・バード ルネサンス音楽を代表する作曲家で「ブリタニア音楽の父」として現在もイギリスにおいて敬愛を集めている
 バードが生きたのはエリザベス1世からジェイムズ1世の治世にかけてで、イギリスのルネサンス音楽の黄金期ともいえ、多くの作曲家が活躍した イギリスのルネサンス音楽のもう1人の天才、タリスから音楽を学んでいる 
 バードの音楽を考える時、どんな時代に彼は生きていたのかがとても大切となる 宗教改革の嵐が吹き荒れていたのだ 16世紀前半にカトリック教会から分離独立して国王を教会の首長とするイングランド教会(イギリス国教会)が成立したイギリスは、エリザベス1世の母メアリ1世によって再びカトリックに戻された 次に即位したエリザベス1世はまたイギリス国教会に戻した 宗教的価値観がコロコロと変えられた時代だったのだ
 敬虔なカトリック信者だったバードであるが、カトリック信者であっても有能な人材であれば登用されており、才能あふれるこの作曲家は女王から庇護され、イギリス国教会のための英語を歌詞とする典礼音楽サーヴィスやアンセムをたくさん作曲している 一方、バードは多くのラテン語によるカトリック教会のための宗教声楽曲(典礼音楽)もたくさん作曲している なんのために?である
 エリザベス1世の治世の後半からカトリック信者への弾圧はだんだん強くなり、次のジェイムズ1世になってもますますその傾向は強まり、バードはロンドンを離れて、半ば隠遁生活を送っていたのだ バードが書いたラテン語の宗教声楽曲は「秘密の礼拝(秘密ミサ)」のために書かれたとしか考えようがないのだ イギリス中のカトリック教徒がイギリス国教会への改宗を迫られ、弾圧され、次々に処刑などがされていた中、カトリックの信仰を貫いたバードのラテン語の宗教声楽曲である
 有名な「三声のためのミサ曲」「四声のためのミサ曲」「五声のためのミサ曲」、そして、ラテン語のモテットはこのような背景を持って生まれているのだ
 1日1日と命が危ぶまれる中で信仰を貫いたバードの音楽は現在の私たちに何を気付かせてくれるのだろうか