みなさん、こんにちは。

 

今回は、

海外コーディネーター、fixerって何ぞや?!

と思う人もたくさんいると思いますので、

自己紹介も含めて書きたいと思います。

 

私は東京出身、東京在住で、

海外と日本のメディアと

様々な仕事をしています。

 

最近嬉しいことに、

うちの会社に

「海外リサーチの仕事に興味がある」

とご応募いただく方も

老若男女たくさんいらっしゃいます。


2010年に会社を立ち上げた頃、

記念すべきお仕事第一号が、

東京の某私立大学での講義でしたが、

「あまり海外に興味がない」

という学生のコメントに

大きなショックを受けたのですが、

少しホッとしています。

 

私がここに展開・発信したい内容は、

海外志向、マスコミに興味がある方、

起業したい方に向け

なのかなと思っています。

 

1.海外コーディネーターとは?


2.日本で言語(英語)を習得し、

バイカルチャルになる方法


3.(日本でも)いつでもどこでも

海外と繋がる方法、 

東京で味わえる海外厳選体験


4. メディアの仕事の裏話

(日本と海外メディアの比較、

メディアで仕事をする秘訣や心得など)


5. 海外(大学院)留学経験談、

その結果が帰国後の仕事にどう活きたか深掘り 


6. フリーから起業し、

11年目迎えての考察


7. 今後注力したい海外活動について

etc etc

 

休憩コラム つぶやきも挟みつつ … lol

 

毎度口癖のように言っていますが、

言語は当然コツ+コミットメントがあれば、

日本で習得できますので、

基本的に、海外留学=言語学習ではない

と私は思っています。

 

前回も書いた様に、

ネット&SNSや動画の普及もあり、

英語がわかれば多くのことを知り、対話できる

これが英語の醍醐味。

価値観が広がる


だからツールである言語を学んで、

何を勉強したいか、そしてどうなりたいかを、

常に意識すること、

が大事かなと伝えています。

 

海外コーディネーター(and fixer) のセクションで詳しく書きますが、


「海外何でも屋」と言えば良いかな、

コーディネーターとは実にふわっとした、

曖昧なネーミングでして。

 

私の場合は

海外関連の企画やリサーチ、

ブッキング含む仕込み(制作全般)、

ロケ・取材・収録など本番では

通訳や現場立ち合い、

オンエア・アウトプットに至るまでの

フォローや事実確認


などいろいろ主体的に行っています。

 

海外コーディネーターである私の仕事上のモットーsは、

「多種多様の価値観を伝える」

「難しいことをわかりやすく伝える」こと。

これらも追って詳しく書きます。

 

 

 

***今回は、自己紹介から***

 

コロナ渦中、withコロナ時代、

否が応でも自分と向き合う時間が増えたのは、

私だけではないはず。

 

仕事をしていて、社会のために何ができるか、

また自分とは、

自分らしさの追求心のようなものも、

強く芽生え始めました。


周囲は驚くのですが、

振り返れば気づけば私の人生、ほとんど東京


イギリス大学院留学・準備期間、ホームステイ・短期語学留学、出張などの数年を除けば。

 

両親が教育熱心で、

特に父は短期間ですがフランス・パリ駐在もしていて、

娘たちに英語は必須だと考え、

双子の姉と私は6歳頃から英語塾に行き、

NHKラジオ基礎英語を毎日欠かさず聞きました。


ピアノ、書道、水泳、ソフトボールと、

いろいろ習い事もやりましたが、

一部は大人になっても体が覚えているので、

不思議なものです。

 

小学校に入る前に、

六本木アマンド付近を歩いていてスカウトされ、(ベタですね笑) 

ほら双子なので、、、

子役モデルも短期間やりました。

山本寛斎さんのファッションショーで

外国人男性モデルに肩車されて、

手にキスされるわ、香水くさいわ、

言葉が通じないわ、大ショックを受けたのが、

異文化初体験・・・!

外国人の子役モデルさんに

英単語やジェスチャーで折り鶴を教えた経験も

貴重でした。

 

学生時代は、一言でいうと、帰宅部ガリ勉

 

私は帰国子女枠ではなく、一般受験は、

小学生と大学生の2度経験しました。

双子の姉がエリートで、

英語や歴史だけは負けなくないと、

必死でラジオを聞きながら長時間受験勉強。

音楽が大好きでラジオから全く離れられず、

怒った父親が窓からラジオを投げ捨てた・・・!



高校時代に、英検1級取得まで達成しましたが、最強のライバルの姉の存在が大きかったです。

姉と上智大学を受けまくり、

複数学部受かったことも、学校でニュースに。

 

大学は好きなことを勉強すればよいので、

人生の楽園です。


とはいえ外英(外国語学部英語学科)は西洋式で毎日出席を取り、単位習得も厳しいので、

勉強と遊びのバランスも良く、

非常に充実した日々でした。

 

人生の中でリバースカルチャーショック、

逆異文化経験をしたのは、

就職活動です。


一応ちゃんとした大学を出ても、

大海を知らないカエル?のように、


日本という大きな社会の枠組みにミスフィット

不適合しなかった、

という苦い経験です。

 

必死の思いで就職した、

日経半導体商社メーカーで

海外営業アシスタントOL時代は、

たった半年。


担当営業からから

「大沢さんみたいな声で電話出てよ」とか、


自分の席に戻ると、

電話応対マニュアルが

デスクの真ん中にどーんとおいてあったりとか、


ランチ終わり、

トイレの鏡にはりついて

メイク直しする同期の女子たちにドン引きとか。


私はランチ中に独り行動を続け、

仕舞いには体調を崩し、

脱OL

 

頭の中には、

「海外で教育を受けないと認めない」

という父親の言葉もあったのかもしれません。

(姉は交換留学でUCLA、

上智卒業後もモントレー大学院に進み、

アメリカで就職しました)。

 

ぼんやりと海外留学への思いを胸に、

語学を活かすアルバイトをしながら、

大学院リサーチする日々。


ヘルメットやハーネス、鉄筋?ブーツを装着してDisney Sea工事現場で通訳したり、

AEONの先生をしたり、

バイリンガルセクレタリーをしたり。


 

姉がアメリカなら私はイギリスに行く!

という思いを抱かせた

人生のメンター、ランドローバージャパンの上司のサポートをフルに受けて、


イギリスのオックスフォード大学院に見事合格!

教育学部の応用言語学および第二言語習得を学びました。

この時のエピソードは詳しくまた。


 

当然大学でも大学院でも

英語で論文を書いたので、

分野によっては英語での文書作成の方が、

特に英語の場合は書き方、

構成が決まっているので

非常に楽なんです。

ビジネスやemail文書の作成方法も

また別の機会に。

 


イギリスから帰国後は、

念願のラジオの現場デビューを果たし、

ラジオ番組制作会社に就職

 

私の原点、

今のビジネスを形作る、

一つのラジオ番組と、ライフワークと、

更にのちに一緒に起業することとなる

仕事相方とも、

この時に出会います。

 


同時並行して、

20代後半のパーティーガール 

party animal 時代。

 

続編もできましたが

当日日本でも大ヒットした

SATCの主人公キャリーばりに、

前髪センターわけ、

くっきりウェーブの髪型をして、

外国人のゲイフレンズとつるんで、

ブランドレセプションパーティーに繰り出す。


特に木曜日は パーティ3、4件はしご、

文字通り "party crawl" な日々。


が、仕事も忙しくなり、

何よりジョギング中に

鼻の下を10針縫う怪我をし

(↑人生初の救急車 車椅子)

引き篭もりまして

それ以降 “パリピ”卒業(祝)!

 

そう、いろいろ体験しました・・・

 

 

だいぶ、だいぶ、逸れましたが(ごめんなさい)


私のようなケースを見て、

日本で英語を習得し、

国内外問わず外国人の友人知人を沢山持ち、

言語力、コミュニケーション能力、

人脈を仕事にフルに活かし、

東京にいながら

海外と繋がることは可能なんです。


現代のSNS時代&コロナ渦なのですから、

なおさら。

 

「自分はこうだ」という

思い込みのブロックは

常にoffでいたいものですね。


一番大事なのは、

私は何をしたいか、どうありたいか。

答えは必ず外じゃなくて内にあります。

 


ただ何事もバランス。

外で起きていることも、

自分が感じていることも、

意識的に自分で客観的に見るクセや、

周りがふと発言・リアクションしたことに

耳を傾けてみると、

何らかの気づきのサインが

あるかもしれないので、

見逃さないようにしたいですね。

 

だからここに書く全ては

(ローラーコースター?人生の)

私という人間のフィルター、

器を通しての世界観、英語習得術、

働き方、海外コーディネーター活動、です。


正解などなく、合う合わないだと思っています。物事も、人間関係も。

 

最後に emism (私のイズム)を・・・

 

Life is what you make it (人生は自分で創り出すもの)!

 

では引き続き、宜しくお願いします

 

Emi