身の回りに起きたシンクロニシティが
あまりに不思議だったので
「シンクロニシティ」をキーワードにして書いています。
============================================
人間の知能、つまり脳の使い方とシンクロニシティは
多分関係している。そもそもシンクロニシティを
認識できるかどうかは脳の使い方によるのではないかと思う。
最近宮口幸治さんの書かれた
「ケーキの切れない非行少年たち」
を読んで感動している。
非行少年として医療少年院に入る人たちの多くは
知能が低いために、結果として凶悪犯罪に手を染めている
という事実を知ったからだ。少年院で勤務する教官たちも
ここまでだと知らなかったという。
これはとても重要な事実だ。
私も人間の知能がここまで大きくバラエティに
富んでいるものとは気づいていなかった。
そして人類の殆どが教育者たちも含めて
この事実に気づいてこなかったということにも驚愕する。
宮口さんのおかげで一般的に知られるようになってきている。
このような人たちをどのように社会に迎え入れることが
できるかで、社会は大きく変わると思う。
このような知能の差は人類に大きな「分離」をもたらしている。
本来はワンネスの中にありながら、
見えない知能のベールが存在している。
これはある意味左脳の作り出すベールとも言える。
IQ70未満の人たちが「知的障害者」として定義されているが、
日本ではIQより偏差値の方が一般的なので偏差値で言うと
おおよそ30未満、2%程度の人が該当する。
かつて軽度知的障害として定義されたのはIQ85未満、
おおよそ偏差値40未満、約16%の人たちで、
この人達も社会の中では相当なしんどさを感じて生活しているという。
偏差値もIQも母集団の中での相対的位置を知るには良いが、
絶対的知能の差はわからない。ここまで差があったなんてね。
一般的な公立の小学校でもクラスには数人いたかもしれない。
知的障害者と言われるレベルの人たちも、首都圏の小学校なら
各学年に数人はいるレベルなのではないだろうか。
満員電車に200人程度乗っているとすれば、その中の数人は
知的障害者の可能性があるが、隣りに座っていても多分
わからない。
私が小学生の頃、確かに同級生の中で特に勉強の
できない人はいても、勉強が嫌いなんだろう、
遊びたいんだろう、くらいにしか感じなかった。
しかしこのような人たちは小学校2年生くらいから
授業について行けてなかった可能性があるということ。
小学2年生から授業についていけないとすれば、
いじめのターゲットになる可能性は非常に高い。
またバカにされ、いいように使われ、搾取の対象にもなるだろう。
運動能力も低く、力の加減もできないという。
計算も苦手で漢字も読めないとすれば、
大人になっても就職は難しい。
お金が必要となっても、働くという選択肢さえ
思い浮かべられない人もいるようだ。
このような人たちは、人類の始まりから存在したのだろうか?
人類の知能の発展に伴って生まれてきたのだろうか?
義務教育の始まった明治時代より前ならば、
「授業についていけない」という現象はなかったはずだ。
江戸時代、農民が80%と言われた時代には、
あまり問題にもならなかったのだろう。
義務教育は確かに文盲の人たちを減らし、
「物質文明」を発展させた。
同時に競争社会を作り出し、このような
授業についていけない「知的障害者」
をも生み出した。長い時間かかって、ようやく人類が
その存在に気づき始めたというところか。
さて、ここからスピリチュアルな観点で見ていこう。
マイケルニュートン博士の研究によれば、
人間は生まれる前にその人生で経験したいことを
決め、そのために必要な身体を選んでくるという。
では、医療少年院に行くような人たちはどうして
そのような身体を選んであえてこの時代に
その環境に生まれてきたのだろうか?
いじめられ、搾取され、そのために怒りを
どんどん溜め、結局凶悪犯罪に手を染め、
反省する知能さえない人生になることは
ほぼ確実。
悪いカルマを積み上げるだけの人生になる可能性が
ほぼ確定している。
そしてこの知能レベルでは、スピリチュアルなことに
興味を持つことはできないし、そもそもスピリチュアル
リーダーたちも聴衆のターゲットとしていない。
誰が救えるというのだろう?
また、そのような人たちをいじめ、搾取し、
凶悪犯罪に手を染めさせる人たちは、
他人に見つからなかったにしても、
積み上げた悪業は「知的障害者」よりも
大きいに違いない。
もしかするとこの人たちの次の生は
搾取される側になるのかもしれない。
さらに、そのようないじめる側、搾取する側の
人間たちを作り出しているこの競争社会の
一員である我々も、ある意味「被害者」になってから
関係性があることに気がついたり、
何かしらの学びを得ることになるのだろう。
ところで三木大雲住職の怪談説法で「生まれ変わり」
のお話がある。インドを旅していたときに、
前世の記憶を持つ牛と出会ったというお話だ。
この牛は「おはよう」といえば振り向き、
「こんにちは」といえば頭を下げるという。
住職が「前世は日本人ですか?」と聞いたら
何度も頷き、涙を流したという。
なぜ言葉を理解する脳を持つ牛
を選んで生まれてきたのだろう?
知的な脳を持たなければ、言葉さえ理解できなければ
悲しみもなかったのではないだろうか?
それでも宇宙には無駄がないという。
こういった一見無駄に見える経験も
輪廻を終わらせるためのものと言えるのかもしれない。
今のこの世の中は、偏差値50を中心とした40−60の
ボリュームゾーンの人たちを想定して動いている。
それより下の人たちを想定して動くと、
社会的に効率が悪いと思われているからだ。
また、上場している企業は当然基本的に偏差値50以上
の人たちを社員として採用することになる。
私は大学を卒業してから企業に入って、
同期約500人とともに教育を受けて、
そこから国家資格の取得競争に入った。
その教育期間中、なぜだか「話が通じていないな」
と感じることがあった。もやもやする感じだ。
入社後数ヶ月して人事に呼ばれ、入社試験を手伝うよう
言われた。そこでその試験の中に偏差値測定テストが
あったことに気がついたのだった。そして、その採点、
履歴書と面談を通じて、様々なことがわかってしまった。
最初は受験生たちがふざけているのかと思っていたが、
有名大学を出た人たちでも低い偏差値の人たちが
結構いるということ、こんな簡単な問題が本気で
解けない人たちがたくさんいる、ということに
気づいてしまった。
そして私の偏差値が80をはるかに超え、測定不可
となっていたという事実を発見してしまった。
これが見えないベールの正体だった。
それが分かったおかげで、人への説明の仕方も
多少変わったのではないかと思う。
頭の悪い上司に説明をするのにはとても苦労したけれど、
それも必要な経験だったのだろう。
きっとそういう身体と経験を選んで生まれてきたのだ。
もちろん輪廻の中で私も教育さえ受けることが難しい人生が
多々あったはずだ。ただ、今生経験したいことが違うというだけだ。
そしておそらく偏差値50程度の人が30以下の人と話をしても
あまり通じないのと同様、偏差値80を超えているところから
偏差値50の人と話しても、見えないベールがその間にはある。
私は運良くアメリカの大学で研究をさせてもらい、
MITとUCバークレイ卒業の優秀な教授と研究ができたので、
自分の理論を展開し、理解してもらうことができた。
その理論を国際特許にし、その関連売上は数百億円にも
なった。半分以上の注文を断らなければならなかったけれど。
もっと賢い人たちに囲まれていたら、もう一桁上に行っただろう。
頭の悪い人たちの中でこんな理論を展開しても、
理解されないので逆にこちらが馬鹿だと認定されてしまう。
必死に説明しても理解されない、そんなベールが確実に存在する。
人類はここまで「分離」しているのだ。
それでも人類の知能の分布など
宇宙の叡智から比べれば、
どんぐりの背比べに等しいだろう。
ならば最も賢い人類は、
宇宙に委ねることが最も賢いと認識する。
そして委ねることができると、
この世はシンクロニシティに
溢れているということが感じられてくる。
右脳の時代、縄文時代には
このようなベールはなかったんだろうか?
