身の回りに起きたシンクロニシティが

あまりに不思議だったので

「シンクロニシティ」をキーワードにして書いています。

 

私の体験の始まりはこれ(1)

=======================================

「奇跡の言葉333」とか

「9次元からの招待状」とか、

私としてはとても気になる本を書かれている

はせくらみゆきさん。

 

最近はせくらさんの本を読んでみたら、

今まで私が言葉にできなかったことが説明されていて

とても面白かった。

 

共感覚をお持ちというところと、

「数」に関する深い知識をお持ちのところから、

どこか辻麻里子さんと共通点がありそうだ。

 

「数は宇宙における共通概念である」

 

とはせくらさんは指摘される。

 

神聖幾何学を学ぶとわかるように、数は

宇宙の開始から、つまり地球が生まれるより、

人類が誕生するよりずっと前から存在している。

 

「数霊」ではせくらさんと共著の深田剛史さんは

こんな面白いことを書かれていた。

 

「光としての存在、神としての自覚を持たずして

車のナンバーや電話番号を「4181」にしたところで、

人生は変わりません。」

 

そうそう、以前から何となくこれを感じていた。

車のナンバーでゾロ目を買ってみたり、
縁起がいいからと、最近はやりの「358」にしてみたり。

それで人生が変わるんでしょうか?

 

心の底ではわかっていたよね。

 

「8888」のナンバーをお金で買ったら

お金持ちになれる、とは限らないよね。

 

偶然それを見かけた側の人には何かしらの

メッセージになるかもしれないけれど。

 

もちろん、ビジネス上の利点がある場合もある。

例えばペットのホテルから「猫ちゃんお迎えに来ました」

なんてお迎えに来た車のナンバーが「222」だったら、

まあ、かわいらしいわね、なんて思ってしまう。

そういえば今日は2月22日。

 

救急車のナンバーが「119」なら分かりやすいね、

なんてなるでしょう。

 

そのナンバーがその人やその車に

ふさわしいか、その波長に合っているかどうか、

ということが重要なのではないかしら。

 

だとすると、「8888」という車のナンバーを買う

という行為はその番号に波長があっている人、

ふさわしい人が持つといいのでしょう。

 

そうでなければ、もしかすると本来その人に届く

ナンバーを拒絶してしまったことになるのかな。

いずれにせよ自分とは関係のない番号を付けていても

意味がない。

 

宇宙はすべてのもの、ことに数字を送ってきていて、

それこそ、そのものを表現しているようにも思える。

 

誕生日からその人の人生を占う、なんていうのは、

その数字がその人の何かしら固有のことを表現していると

思われるから、でしょ。

 

人間は生まれたときから生年月日、

身長、体重などだけに限らず、

髪の毛の数や足の大きさ、細胞の数、

今日歩いた歩数や移動した距離、

出会った人の人数や呼吸の回数、

心臓の拍数や銀行残高など、たくさんの

固有の数字に囲まれて生活している。

 

それらはそれぞれ何かしらの意味を持っているなんて

とてもこの肉体を持った次元では考えられないけれど、

 

本当はすべてが数字で表現できるのかも。

 

人間界で縁起の良いとされる番号は、

本来のその数字のもつ多くの意味のうちの1つを

取り上げている可能性もあるけれど、

人間が意識できないもっと多元的な意味も

たくさんあるのでしょう。

 

我々に届く数字は、その意味がずっと後になってから

わかるのかもしれない。わからなくても仕方ない。

せっかくやってきて下さった数字さん達なんだから、

感謝の気持ちでお迎えしよう。

 

私がこのブログに書いてきた「333」という数字については

自分からわざわざ取りに行ったことがない。

向こうからいきなり、それも思いもしないところから

やっていらした。だからと言ってその他の数字をみて

がっかりすることもない。

 

「数霊」の共著の深田剛史さんは

 

「大切なのは“数”に優劣をつけないこと。

特定の“数”だけを崇めたり、
えこひいきしたりしない、差別もしないこと。」

としている。

 

これは重要なことだと思う。

生きている数に対するリスペクト。

それは宇宙からのメッセージ。

 

同じ数字でも状況に応じて

異なるメッセージのこともあるでしょう。

 

そのことを理解することが

宇宙の叡智とつながることと思える。

 

今日も私の周りにやってきた数字に、

「ありがとう」