身の回りに起きたシンクロニシティが
あまりに不思議だったので
「シンクロニシティ」をキーワードにして書いています。

私の体験の始まりはこれ(1)
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先日の8月18日、いつものように海に遊びに出かけた。
海のベースまで車で2~3分の距離だ。

玄関を出てドアのカギを閉めようとすると、
鍵穴のすぐ横に木の枝のようなものがあった。
鍵で触ってみるとゆっくりと動いたので虫だ。
長さ10 – 15cmの、木の枝や草の茎の擬態をする虫のようだ。

ドアや壁のような無機質なものについていれば目立ってしまう。
しかもドアに挟んでしまいそうな位置にあった。
「ここは君にはふさわしくないでしょ」と言って玄関横の草むらに
放った。草の中なら目立たない。

そのあと車で自宅の山を下りて大通りに出、ベースに向かった。
山を下りている間は細い道なのですれ違いはできない。

ベースに向かうまでの道で直線の距離はわずか1分程度。
その間に対向車線からナンバー333の車がやってきた。
そんなに対向車のナンバーに気を付けていないのだが、
なんだか目立った。近所の人の車ではない。

そして海で遊んだ後、片付けをしていたら
近所のおじいさんがやってきて、椅子に座って長話。
正直さっさと帰ってシャワーを浴びたかったのだが、
地方においてはおじいさんの話を聞くのも重要。
15分くらい話が続いただろうか。
その話が終わって、片付けを終えて車で帰宅した。

するとどうだろう。行きに見かけたのと全く同じ
ナンバー333の車が対向車線からやってきた。
夏休みで家族連れといった感じの車だった。

おじいさんの長話を聞かなかったら、
この車とすれ違うことはなかったのだ。
しかもわずか1分の距離の中で偶然出会うなんて。

朝も虫と話をしていなかったら、
あの車とすれ違うことはなかった。
万分の1の確率で成り立っているシンクロニシティに思えた。

自宅に戻り、玄関のドアを開けようとすると、
ドアの鍵の横に、朝と同じ虫がいた。
あれだけゆっくりしか動かない木の枝のような虫が、
遠くに放ったはずなのに同じところに、とても不自然に。
しかも無機質なドアの鍵の横に、必ず目の行くところに。

「ここは君にふさわしくないと言ったでしょ」
と言いながらまた草むらに放った。
しかしよく考えれば、玄関先だったので、
下手をすると踏んでしまいかねない。
草むらの中では同化してしまってわからなくなってしまう。

その草むらからなんとか見つけ出し、
玄関から1mくらい横の森の中に放った。
こうすればこの虫にふさわしい場所に行けるだろう。

そして家に入りエアコンをつけ、シャワーを浴びた。
その後インターネットでその虫を検索してみた。

「木の枝のような虫」

すぐに見つかった。ナナフシというそうだ。
うちの庭では見かけたことがなかった。
草や木の中にいたのかもしれないけれど。

もしかして。
見かけたことのない虫が、
行きも帰りも同じところ、しかもドアの鍵の横という
「見て見て!」と言わんばかりの場所にいたという、
非常にまれな確率で起こる現象から、
これは何かのサインなのかもしれない、
とおもい、検索した(鈍感すぎた?)。

「ナナフシ スピリチュアル」

まさかと思ったが、スピリチュアルなサインの
代表格みたいな虫だった。

「神の遣い」

ナナフシを放った森に手を合わせて
「ありがとう」
といった。

「神の遣い」は333のシンクロとともに
何を伝えに来てくれたんだろう?

このようなシンクロニシティは、
虫を自在に操り、
おじいさんに適切な時間、数十秒とたがわず長話をさせ、
333のナンバーの車と、それに乗っている人たちを
自在に数十秒とたがわず操る、
そんな存在にしか作れない現象だ。

そこまでして「神の遣い」を送ってくれた宇宙に
驚きを感じるとともに、
私の周りで起こるすべての出来事は、
本当は「宇宙の叡智に微細なことまですべて操作されている」
ということを主張し強調しているようにしか思えなかった。
それは我々が寝ている間にも心臓を動かして下さっている力。

自然とは神の創造物であって、
その中でゆったりと過ごすということは、
神のリズムで、神とのダンスを楽しんでいる状態と言える。
それが様々なシンクロニシティを呼び込んでくるのだろう。

先日も車のパーツを買いにカー用品店に行くときに、途中で
ODOメーターを表示して見たら、下3桁が888になっていた。
周りにあわられる数字が「思わぬ時に」ゾロ目になっている。

そんな状況で、いくら南海トラフがどうの、台風がどうのと言われても、

自分が災難や災害と出会う未来が全く想像できない。
もちろん、食料、電力などの準備をしておく必要はあるし、する。

しかし、明るい未来しか、想像(=創造)できない!
海の前に住んでいても。

インターネットでスピリチュアルな意味を調べると、
3次元空間らしく「お金」「仕事」「異性関係」ばかりが目立つ。

しかし今回のナナフシのシンクロニシティについては
もっと心の感度をあげて感じてみたい。
気が付いたらおしらせしよう。

このようなシンクロニシティと一緒にいるときが
「幸せ」なのだと思う。

そういえば、探してもらっていた次の住まいを内覧してきた。
とても素敵なところだった(ここでもシンクロが起った)。
宇宙は私の想像するより、はるかに上のものを見つけてきてくれる。
多分今年中に引っ越すことになるだろう。

ナナフシのシンクロニシティは、そこで起きる素敵な未来を
示してくれているのかもしれない。