世間捻くれ観察録

世間捻くれ観察録

何が事実か真実か。大事なことか、どうでもいいことか。世間はごちゃ混ぜだから面白い。

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 愛媛の俳人、中村草田男の句で「 降る雪や明治は遠くなりにけり」を茶化すわけではないけれど、「昭和は遠くなりにけり」をいい意味でも悪い意味でも実感する。

 

 東京タワー竣工直後の昭和のど真ん中生まれにとっては、今の世間が当時に比べ萎んだ貧弱な風船の様に見えてしまう。そう感じているのは小生だけなんだろうか。

 

 東京でさえも、住宅地などの街中に舗装された道なんてほとんどなく、国道や県道などの主要道路以外は未舗装で、雨が降れば水溜りがあちらこちらに出来、冬になれば霜柱をザクザク踏みならして学校に行ったものである。

 

 どこの家庭も似た者同士の貧乏で、隣近所で味噌や塩、醤油の貸し借りや料理のおすそ分け、そのお返しなんて当たり前のようにしていたと思う。共働きが当たり前で、学校から家に帰ると誰も待っていない「鍵っ子」だった。

 

 だか何にも困ったことはなかった。外に遊びに行けば町内には幾つかのガキ大将グループがあって、どこかのグループに紛れ込めば、その「ミニ年功序列グループ」で遊びや勉強まで上の者が下の者の面倒みてくれたものだった。

 

 また、近所のおっちゃんやおばちゃんが面倒みてくれたり、怒鳴られたりしながら人と人の繋がりや礼儀作法とか・・・当たり前のことを自然と身につけて育っていったんだと思う。

 テレビもない、クーラーもない、車もない、風呂だって銭湯が当たり前で、冷蔵庫なんて氷屋さんから板氷を買って冷やす木箱のものだった。

 

 今の平成生まれの子たちは可哀そうだ。物は何だってある。だが人にかまわず迷惑だろうがマナーなんてどうでもいいという者までいるし、注意してとばっちりを受けたくないというのが当たり前になっている。就職も大変だ。高齢者の年金負担の重圧もかかってくる。

 

 自分の主義主張、嗜好が通らないと、延々と嫌がらせやクレーム、暴力に出るモンスターが溢れていて 萎んだ窮屈な風船の真っただ中だ。

 

 だが子どもを産まない、子どもを育てられないのは親の責任ばかりではない。子どもは国の子どもでもあるのだから。少なくても昭和の町内のおっちゃん、おばちゃんのように子育てに自然に手を貸すような人間関係を復活させる手立てはないものだろうか。

 

 子どもは「無限の樹形図」なのだから。