鹿島順一が無くなってつくづく思う。見たい時にはもういない。それなら追いかけても見るべきやと。
最初に見たのは2006年ぐらいのオーエス劇場。15歳くらいやったか。そこまで目立った感じはなかった。年齢の割には上手いくらいの認識。その翌年に梅南座。着実に成長した感じはあった。そのあとに見たのが2010年の浪速クラブ。正直ここではまったわけやねん。正直最初に目についたのは舞踊。芝居は口跡がはっきりしなかったが、所作と表情目線などは、いっぱしの役者になっていた。翌年に鈴成り座の公演。間空いてオーエスと見たが、集客がままならない。これはいつ大阪乗られんようになるか分かるくらいの集客のひどさ。どんだけ集客が悪くても手抜きはしない。客入りなんぞは知ったこっちゃないという風情。12月に乗った高槻千鳥劇場は開場2か月目との事もあって、大苦戦。客より座員が多いこともあった位。夜の部を1人の客で開けたこともある。最後は4人程度にはなった身たいやが。
翌年の梅南座では大入りがなんと2枚。恐らく過去最低。それでも舞台上では熱い舞台が繰り広げられていた。このころは意地でも通っていた気がする。いつ見られなくなるかもしれない恐怖と戦っていた。満座劇場の緞帳おろし公演。翌年正月の道頓堀ZAZA、翌月の三和スタジオが、大阪常連の最後の公演となった。そのあとは三重県、岡山県、仏生山の香川県と、大阪に近づいたら見に行っていた。虫の予感が働いての仏生山。最初は行くつもりもなかった。連れと行く予定やったが、仕事で連れは断念。ひとりで向ったら休団の話。座員も歯抜けのように抜けていた。壬剣天音とかわしたがっちりかわした握手は忘れられない。「またな。」と言葉を残して。
劇団松丸家のやまと座の公演で復活の宣言。おぐら座には連れと見に行った。久々の鹿島順一劇団の芝居を堪能した。ただ座員が様変わりしていたので舞台景色は若干変わっていた。翌月の十三遊楽館公演。家から遠いがなるべく通った。いつ見れるかもしれない。その一心で通った。1年ちょっとでがんこ座と九条笑楽座の2か月公演。通常なら2か月連続で行くんやが、これからは多分年1ぐらいは見れるやろうの判断で、自宅から遠いがんこ座をパス。これが非常に悔やまれる。
他方の公演先の少ない所は劇団とほぼ一期一会。大阪の場合は乗るところが多いから劇団に親近感も湧くし、応援もしたくなる。特に年に1・2どの劇団ならなおさら。見たいと思った時に見ないと見れなくなる。これはいつも心にとどめてる。だから、初見の劇団は必ず見に行くようにしている。例え一期一会になろうとも。
ほんじゃ