みなさまみなさま
本日もお読みいただきありがとうございます
心身調律師のpinoと申します



突然ですが
運動会って
こんな時期にやるんですねい!


すっかり秋の風物詩だと思ってましたし
コロナ禍で消滅したとも
聞いてましたが
復活したんですね!


今どきの学校事情には
すっかり疎い
独身を貫く男の中の男ですが


今日は身内が運動会とのことで
お袋を送りがてら
一瞬だけグランドに入ってみました


くずついたお天気の中

なんとか晴れたみたいで

よかったですね








こうやって運動場に立つと

蘇りますよね

自分の時のこと







ぼくは中学時代

大荒れに荒れてまして…


昼ごろに登校しては

給食だけ食べて帰ってきちゃうような

ろくでもない子どもでしたので


お勉強の思い出は

何ひとつ残ってませんが


体育祭の時だけは

水を得た魚のように

元気いっぱいでした








当時は

午前の部午後の部があり


バチバチの応援合戦や

危険知らずの組体操

取っ組み合いの騎馬戦も健在

熱かったですねい!


三々七拍子よーーい!!!

で始まる

応援合戦


危ないから

崩れちゃダメって

あれほど言われてるのに

みんなでせーので崩壊させた

希望の塔








おでこをバットにあてて

10周回って

平衡感覚を失ってから走る

障害物競争では


わざと斜めに走って

場外の女子の応援席にダイブしたり




兜を取られても

乱闘がとまらなかった

騎馬戦の大将決戦だったり



ムカデ競争は

先頭のぼくが

ふざけてずっこけて

ドミノ倒しになりましたねい!



      

                  女子のブルマ、昭和を感じます。






逃げ足のはやさで

鍛えられたぼくは

短距離も爆速でしたが


アンカーだけは

なぜかグランド一周

200mも風をきるので


距離がどーしてももたずに

サッカー部に託して

ぼくはスタートを走ります


ぶっちぎりで

バトンをつなぐのが

気持ちよかったですね










ぼくのクラスには

タカヲという男がいました


ちょっと足もおぼつかない

グレーな彼でしたが

幼稚園の頃から一緒にあがってきた

クラスメイトでした





ウチは

タカヲがいるから

どうせビリ


口に出さずとも

みんなわかってたし


クラスの中に

やっても無駄じゃね?て

空気があったのも

否めない


当のタカヲは

そういうことを感じ取れる

タイプじゃなかったので


ただただ与えられたことを

一生懸命やってる

だけで


みんなそれがわかってるからこそ

あきらめモードだったんだと思います









編成を決める時に

一番のポイントになるのが

タカヲの配置だったけど


タカヲの前後に

速い子たちを

二人ずつくらい寄せて


五人ひとかたまりで

フォローしたらどうかという案を

アンカーのシンが提案し




欠員が出た場合や

数が合わない場合は

アンカー以外の人が二回走っていい

という

謎ルールがあったので


それに従って

ぼくの二回目の出番に

タカヲをくっつけることを

自らが提案し




普段は口もきかないような

優等生たちや


バイ菌扱いされてる

おにゃのこたちとも

この時ばかりは一致団結して

作戦を練りました









何度も何度も相談しては

入れ替えて入れ替えて

順番決めをしました


シンにつなぐ前の

アンカー前に

バレー部のトシユキという

これまた速いやつを置いて


その前にぼくが走り

その前をタカヲが走る


男女男女の交互に編成するという

慣例をくつがえして


シンとトシユキとぼくの

三人でアンカーを担うような

打順で挑みました






ぼくは何度も

タカヲとバトンパスの練習をして


右手を低く構えて

おれは一歩もリードしないから

全力でぶっ飛んでこいって


タカヲは

うん、うんて

力強く頷いてました







位置について

ヨーイ パーン!!


ピストルの合図をうけて

ぼくがスタートを走り

トップで走り抜けてから


タカヲにバトンが回るまでは

二位で来たんだったと思います


タカヲが二回目のぼくにつないだときは

圧倒的にビリになってましたが


大きな大きな声援を背中に受けて

タカヲは必死でした


ありとあらゆる

体液を噴出させながら

鬼の形相で

ぼくが待つレーンに

飛び込んで来ました


胸を打たれるほど

本当に必死でした







ここからは

おれらの仕事


練習の甲斐もあり

タカヲからのバトンを

受け取ったぼくは

そこからだいぶ差を詰めて

トシユキにパス


祈るような気持ちの中

トシユキは前を一人捉えてくれて


シンはトシユキが作った

その僅かな差を

200メートル

守りきってゴール





実力以上の力を出せることがあるなら

それはチーム力でしかない




なんとかビリを免れたウチが

まるでトップでゴールしたかのように

大盛り上がりだったのを

とってもよく覚えてます







あとからお袋が

タカヲくんのお母さん泣いてたよーって


運動会ってのは

その名前からは想像できないほど

たくさんの愛と感動があるもんなんだな






先輩らから

自分らの世代に

そして後ろの世代に

どんどんバトンが回され

脈々と受け継がれて



そんなお袋が

今日は弟の子どもである

自分の孫を応援しに行ってて

なんだか感慨深いですね







違う意味で

何度もお袋を泣かせてきた

こんなぼくを見捨てずに



いつも弁当作ってくれて

ありがとうございました笑










⭐︎手の力を侮るな⭐︎


東京千葉でハンドセラピストをしているpinoと申します。見ての通り将来を危ぶまれてたぼくですが、どうにか人のお役に立つお仕事に就いてございます。タカヲも職業訓練学校を経て、地元のパン工場で長いこと勤めているそうです。大丈夫です。人生はどうにかなるようにできてます。