もう、子供はいらない。と思った。
楽しいマタニティライフを送る事もなく、こういう悲しい結果に終わった自分には次の妊娠への希望や意欲など持ち合わせてなかった。早く日常の生活を取り戻したいとだけ思っていた。
でも、
私達に汚れのない神々しいまでに無垢なその姿を見せてくれた
我が子は、
いのちを育むことのすばらしさを教えてくれた。
目の前にある幸せに気づきなさい。
まるで、そう言ってるかのようだった。
どちらかというと現実的で、クリスチャンでありながら今ひとつ
神様を信じきれない自分がこんなことを思う事すら不思議なのに、”きっとこの子は天の使いだな”とホンキで思っていた。
授かれるのであれば、また子供が欲しい。
そう思えた。
せっかくやって来た天使は用事が済むと足早に去って行くかのようだった。
この大学病院では、亡くなって産まれた赤ちゃんも足形を取ったり、へその緒を残してくれたり生きて産まれた赤ちゃん同様の提案をしてくれた。そういう物を残すと悲しみが募るという考えもあるみたいだが、今、手元に足形とへその緒が残っている事にとても感謝している。(おそらく、病院側からの提案がなかったらそこまで気が回っていなかっただろうから・・・。)
ただ、生きてる赤ちゃんと違ったのは、助産師さんや看護師さんが折ってくれた折り紙と一緒にちいさなボックスに寝かされていたことだった。
出産の日は悲しすぎるからと病院には来なかった母が来た。
辛いから見たくないと言われるかと思ったが、息子に会いたいと言ってくれた。
「ばあばが来たよ。」
初孫をこんなかたちで会わせるとは思ってもみなかった。。。ごめんね。
”こんなに大きくなってたんやね” と、最初こそ泣いていたが、”すごいね~。”とちょっと嬉しそうに見入ってる顔は、母をすっかりばあばにしていた。
これからのお空への旅路が淋しくないように、もっといっぱいの折り紙を折ってあげようと母とふたりで鶴や袴、やっこさん、にわとり、犬やうさぎを折った。
昔から子供ができたら絶対着せたいと思っていたファミリアで赤ちゃん用の布のおもちゃも用意した。
夜にはダンナも折り紙を折り、一緒に手紙を書いた。
小さなボックスはもういっぱいになっていた。
さみしくないかな。。。
二日後の早朝、息子の火葬に合わせて私は退院することになった。
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