8.「よしよしわかった。任せなさい」という庄屋意識 | 半田伸明のブログ

8.「よしよしわかった。任せなさい」という庄屋意識

このように、税を取る側と取られる側の間には大きな溝があり、かつ取る側の寡占化が進行しているのが現在の状況です。
もっとも、税を取る側は選挙に勝たなくてはなりません。そこで、税を取られる側のお願いをいかに実現してあげるかが大きなポイントになります。

もう何年前のことでしたか忘れましたが、確かNHKだったと記憶しているんですが、1980年代の自民党の幹事長室を写していた番組がありました。陳情のシーンでした。誰だったか名前も忘れてしまいましたが、その先生は陳情をうんうんと聞きながら、電話をかけ始めます。
「君ィ、このくらいやってあげなさい!」
これで万事解決というわけです。この番組もう一度見てみたいですね。番組名が思い出せれば良いのですが。先に書いた庄屋という側面の「中継ぎ機能」がいかんなく発揮されているシーンですね。

先に選挙の構造について書きましたが、各議員が所属する村から陳情を受けるとします。考えられるシーンですよね。受けた議員さんは、それを解決すべく奔走します。
このことを決して笑ってはいけません。その議員さんは真剣に頑張っているのですから。
一方、動画としてみますと、「なんかこう偉そうだな」という意識で見てしまうわけです。これはこれで無理もないですよね。ここからも、議員さんはあくまでお願いの「対象」であるということがよくわかります。

納税者のサイドから能動的に行動する場合に、こういう陳情合戦が考えられます。国レベルで予算編成の時期になると、たまにこういう陳情のシーンがテレビに映ったりしますよね。

個人主義の大原則からするならば、税は少なくしろよ、余計なことに巻き込むなよとなりますが、税は取られるものであり権力には従うしかないわけですから、その結果私のところからは税をあまりとらないでくださいという陳情もあり得るでしょうし、また取られた税を取り返すべく、うちのまちに是非大きな道路をとなるのも、これはこれでなるほどとは思いますよね。良し悪しは別にして。

このように、議員発ではなく税を取られる側発の行動を注意深く見てみると、とどのつまりは「税を安くしろ」「税を取った分取り返せ」の2つに集約されていくような気がしてならないんですよね。皆さんどう思います?
これらの層は、それこそ意を決して行動を起こすのでしょうが、気が付いたら「当事者」になっているというのが大きなポイントです。自ら能動的に行動する分、政治がより身近になります。その結果、気が付いたら「政治家サイド」の発想で物事を考える癖がつきます。

こう考えると、各選挙で実際にお願いした税を取られる側が選対に入っている例もなるほどと思いますよね。自分がお願いした政治家が落選なら、それは大変に困るわけですから、選挙にも力が入ることでしょう。

このように、税を取られる側から能動的に行動する場合は、「当事者化」していくのです。政治家特有の庄屋意識、及びお願いの「対象」という分析からすると、深い溝を乗り越えて飛び込んだら「当事者化」が待ち受けているのは無理もないことなのです。