【番外編】三鷹市長選挙の候補者について | 半田伸明のブログ

【番外編】三鷹市長選挙の候補者について

総論部分として、5本の記事を書きました。
1)三鷹市長選挙・三鷹市議会議員選挙とはどういう選挙なのか?
2)市議会議員は市民の代わりに何かをしてくれる人ではない
3)現職の仕事ぶりの判断材料となる議会だより
4)選びようがない三鷹市議会議員選挙
5)半田伸明が選挙公報で訴えたかったこと

この5本の記事は、三鷹市議会議員選挙を考えるにあたり、ぜひ多くの皆さんに目を通していただきたい総論部分です。各論として、半田の仕事内容ともいうべき、質問の中身をお示しします。

さて、一息入れましょう。いきなり各論に入る前に、番外編として、三鷹市長選挙について書いておきます。
三鷹市議会議員選挙と三鷹市長選挙は、明らかに違う選挙です。どこがどう違うのか?については、上記リンク1を御覧ください。

ここに書いたように、市長は予算を編成する権利を持つのですから、まさに権力者そのものです。三鷹市長選挙とは、候補者の中で、誰が権力者として相応しいかを考える選挙と言えますね。

前提として書いておかなければならないことがあります。
私は三鷹市議会議員選挙に立候補しています。市議会議員の仕事は権力を監視することであると私は過日書きました。上記リンク5を御覧ください。
そういう私が、特定の候補者を応援することは当然できません。権力者は、監視の対象であり、この人に権力者になってほしいということを表明すると、論理矛盾をおこすからです。
その意味で、権力監視機関であるべき市議会を構成する議員が、市長選挙につき特定の候補者を応援するという現象は、正直理解できません。

市長選挙には、清原市長と岩田さんが立候補なされていますね。世間的には、自公民が推す清原さん、共産党が推す岩田さんという構図で理解されているようです。
な~んだ、自公民vs共産か、つまらんのぅ、というそこのあなた、ちょっと待ってください。半田ならではの構図を書いておきますので、それをまずは御覧になられてから、改めて考えてみてくださいね。

幾つかポイントを紹介しましょう。

【ポイント1】「4期16年は長すぎる」
どんなに素晴らしい権力者であっても、権力者である期間が長ければ長いほど、権力というものは腐敗していきます。
誤解のないように書いておきますが、清原さんが腐敗しているという意味ではありませんよ。あくまで一般論です。歴史を紐解けば、権力腐敗の例は、枚挙に暇がないですね。山ほどあります。そういう一般論です。
清原さんは、 3期12年市長の職務を全うなされてきたわけです。私のような立場からすると、清原さんそのものを応援もしませんし、批判もしません。ただ、清原さんが編成する予算や政策そのものを監視の対象として、仕事をするだけです。
この手の話になると、とかく人は好きか嫌いかで判断したがりますが、そういうことではないのです。
16年と言いますと、清原市政誕生時に生まれたお子さんが、高校生になっているわけです。さすがに長いですね。その意味で、河村さんにスムーズにバトンタッチできるかが焦点でしたが、残念なことに河村さんは倒れてしまいました。一刻も早いご回復を祈るばかりです。
話を戻しますと、同じ権力者が長いこと居続けるというのは、私はやはり問題だろうなとは思います。

【ポイント2】「権力者に必要なのは謙抑性である」
もう数年前の話になりますが、市長の定例記者会見資料を情報公開請求した際に、実際にペーパーがくるのがかなり遅かったということがありました。このことを質問した際、当該資料を情報公開するか否かにつき、清原さんは「検討する」と答弁したことがありました。
情報公開というものは、「検討する」ものではありません。非公開事由に該当しない限り公開が当たり前です。権力者が情報公開するか否かを「検討する」と答弁したことに、半田は正直なところ恐怖を覚えました。
権力者の意向により、情報公開するかどうかが決まるとなると、これはもうはっきり申し上げて、権力者次第で何事も決まるということになり、これは大変恐ろしい事態です。この質問を経験した私は、清原さんが継続ということにはやはり、若干の「怖さ」を感じているところです(※今はインターネット公開されるようになりました)。

【ポイント3】「権力者だからこそ情報を自ら開示すべきである」
情報公開というものは、請求されてから出すのではダメです。
市民との協働ということを本気でいうなら、ありとあらゆる情報を権力者サイドから積極的に出すべきなのです。なぜなら、情報の共有から真の民主主義が始まるからです。
例えば、議会情報もそうですね。
現状は、委員会資料はおろか、議案そのものが公開されていないのです。議案概要は公開されていますが、これはあくまで概要ですから。
この手の話は、議会改革と言われがちですが、それは違います。
なぜなら、二元代表制である以上は、議会に提出した「後は」議会側の問題ですが、議会に出す「前に」提出者の姿勢のあり方として市民に公開することは当然ありうるのです。こういう例は数多くあります。このポイントは、実は上記の謙抑性の議論とも関係しますね。謙抑的であれば、当然のことながら、様々な情報開放を権力者として積極的に仕掛けなければいけませんね。協働というのならなおさらです。

以上幾つかポイントを書きましたが、ここで確認すべきは選挙公報ですね。
選挙公報を実際に見たとき、岩田さんは情報公開のあり方をはっきりと書いているのです。
一方、清原さんは書いていないようですね。

この差は大変大きなものがあると思います。
権力者だからこそ、「権力者としてどう振る舞うか」につき見定める軸として、情報公開の姿勢から考えてみたらどうだろうか?というのが、私からの提案です。
こうなると、もう政党対政党ではありませんね。個人対個人なのです。

上記の理由から、私自身は岩田さんに投票しようと、選挙公報を見て決断しました。もっとも、市議会議員のあり方から特定の候補を応援するものではないというのは、上記に書いた通りです。
大切なことは、選挙公報を実際に見て、比較することです。比較する際に、皆さんならではの軸で比較なされるのでしょうが、その中に是非「権力者のあり方はどうあるべきか?」を追加してみてください。色々と見えてくるものがあろうかと思います。

私は以上のように岩田さんに入れることに決めましたが、いうまでもありませんが、清原さんは清原さんの良さがあります(もちろん書いたように恐怖も感じましたが)。それぞれの良いところを見比べるのも大切なことです。

自公民vs共産という図式ではなく、皆さんならではの軸で市長選挙を捉え直してみませんか?せっかくですから、市長選挙を「楽しむ」ことを、私は提案したいと思います。

2名の候補の活発な論戦を期待します。

最後に今回のエントリーの要点を書いておきましょう。

【本エントリーの要点】
・4期16年は長すぎる。
・権力者に必要なのは謙抑性である。
・権力者だからこそ情報を自ら開示すべきである。