三鷹市いじめ防止対策推進条例(仮称)の概要についての行政報告 | 半田伸明のブログ

三鷹市いじめ防止対策推進条例(仮称)の概要についての行政報告

9月議会の報告の続きです。文教委員会で、教育委員会から「三鷹市いじめ防止対策推進条例(仮称)の概要」につき行政報告がありました。

ここに至るまで、長い長い経緯があります。何度か分割してエントリーも考えましたが、文章をまとめていくうちに1回のエントリーの方が良いだろうと思い直しました。かなりの長文になりますが、最後までお読み頂けたら嬉しいです。

私が文教委員会所属になったのは、2013年5月からです。翌月の、2013年6月議会の文教委員会で「都内公立学校における体罰の実態把握調査の結果」について行政報告がありました。2012年度のものについての報告でした。大沢台小学校、一中で1件ずつの発生という結果でした。行政報告資料については下記をご覧下さい。

都内公立学校における体罰の実態把握調査の結果(24年度)

この時の半田の質疑の際に、教育委員会指導課長から次のような答弁がありました。
「学校で起こった事案につきましては、当然全て服務事故にかかわらず、起こったことについては管理職に報告するというのがまず原則でございます。保護者からのさまざまな苦情等につきましても、全て管理職に連絡、報告するというのが原則でありますので、それをもとに校長のほうが教育委員会のほうに連絡する。事案によっては、東京都教育委員会のほうに三鷹市教育委員会のほうが報告するというのが原則でございます」

この答弁からだと、発生した事案については担任から校長へ、そして校長から教育委員会へ報告という流れになっていることがわかります。
ということは、注意すべきは、
1.担任が発生した事案を全て報告していると、校長がチェックできているか?
2.校長が発生した事案を全て報告していると、教育委員会がチェックできているか?
となりますね。

この行政報告は体罰に関するものでした。
大沢台小学校の事案については、資料を見ると2012年6月の発生とわかります。実は、この情報が保護者に明らかにされたのは、年度当初の学年ごとの保護者会だったことが判明しました。年度当初とは4月です。つまり、それまでは保護者には報告がなかったわけであり、事案発生後10カ月たって保護者に報告されたわけです。

こうなると、「隠蔽してたんだね」と言いたくもなります。そこで、「10カ月ためにためて、保護者会のときに報告すればいいというのでは私はないと思う」と質問しました。
これに対し教育部長は、被害者のプライバシー保護への配慮を言いつつも、「極力早い情報提供が必要だったという認識」との答弁でした。

ここからわかることは、学校側として抱え込んでしまう現実は現にあり得るということです。

三鷹市はとにかくコミュニティと言いたがります。教育もそうです。コミュニティ・スクールという言葉すら生まれました。
しかし、コミュニティ・スクールだって言っておきながら、いざ体罰事案があったら10カ月表にならない事態があるわけで、これはお笑いものです。こんなことは絶対あってはならないのです。
ところが現実にこういう事案が発生した以上、児童・生徒ならびに保護者側にとっては、「やっぱり学校は信用できない」という気持ちが発生するのは、私は無理もない話だと思うのです。

6月に発生したのが翌年度の当初の保護者会まで明らかにされてないという状況を当該地域の親が知ったら、そんな学校の校長は信用しませんね。それでも学校の校長を信じてくれっていうんであれば、それは学校の校長が信じてもらえるように行動すべきだ、と発言してこの時の質疑を終えました。
この件は体罰事案に関するものだったわけですが、学校側に対する強烈な不信感が半田に残りました。

次に、舞台は2014年2月に開かれた文教委員会の行政報告の場に移ります。この時には、「平成24年度三鷹市立小・中学校 児童・生徒の問題行動等の実態について」という行政報告がありました。資料は下記をご覧下さい。

平成24年度三鷹市立小・中学校 児童・生徒の問題行動等の実態について

いじめ調査のアンケートの報告だったわけです。

まず、アンケートの回収の実態について質問したところ、家に持ち帰らせたわけではなく、その場で、つまり教室で書かせたことが判明しました。

いじめとは、要はムラ社会の圧力と言えましょう。その圧力の現場である学校内のしかも教室で、いじめ被害者が真の実態を訴えることができるでしょうか?
いじめっ子の気持ちになって考えてみましょう。いじめているアイツは余計なこと書いてないだろうなとじっと睨んだりする場面が想定できませんか?その視線を察知したら、いじめ被害者は真の実態を書くにかけない事態だって十分に考えられるのです。

要は、いじめ調査の入口時点で既にお話しにならないのです。先ほど紹介した資料を見ますと、「いじめの現在の状況」の欄に、小学校53件、中学校82件とありますが、これが真の実態を現しているとは思えなくなってしまうわけです。第三者が見つけたという報告も含まれるわけですが、それを含めてこれらの件数の実態を告白した児童・生徒は勇気を必要としたことでしょう。

つまり、「本当にいじめられてるお子さんの立場に立ったアンケートではない」と思えてならないのです。

ここで再度先ほどの資料をご覧下さい。
「いじめの現在の状況」の欄ですが、認知件数、解消しているもの、一定の解消が図られたが継続支援中、解消に向けて取組み中、継続という言葉が並んでいます。

まず、認知とは、誰がすることをさすのか?と質問しました。
教育部長から教師ということであるとの答弁がありました。

もし、教師がいじめ情報を知っていながら、認知しない行動に出た場合、いわば黙殺した場合はどうなるのでしょうか?

次に、解消だの一定の解消が図られたが継続支援中だの、判断する人は誰なのか?と質問したところ、教育委員会指導課長から「最終的に判断は校長、副校長になりますが、教員からの情報を得て、また状況を見て、校長のほうが判断して調査を上げていただきます」との答弁がありました。

もう皆さんお気づきのことと思います。わかりやすくする為に1つの仮想話を出してみましょう。
「あるクラスで10件いじめがありました。10件のいじめの件数を把握したのはそのクラスの担任の先生でした。その10件が解消されたかどうかをチェックするのも、その担任の先生でしたということになる」わけです。

つまり、ある程度クラスの中で完結してしまう危険性があるのです。

はっきり書きますと、認知件数が多かった場合、指導力不足ということで、その先生は人事に影響があるんじゃないかと、ひょっとしたら思うかも知れないわけです。私のクラスでいじめなんかあるわけがない、私は出世ができなくなってしまう…善し悪しは抜きにして、人の心理としては理解できるものがあります。

もし、いじめの認知件数と人事が絡んでくると、どういう事態が想定できるでしょうか?ここまで書くと、私の問題意識もご理解頂けるのではと思います。

担任の先生が、当該いじめは解消していると言ったら、それでおしまいになる危険性はやはり否定できないのです。校長は校長で、上がってきた報告を見るだけ、教育委員会も見るだけという事態すら想定できてしまうことに怖さを感じるのです。本当に実態を把握できるのか?と質問したところ、教育部長から、条例化するとか、専門家による1つの委員会を立ち上げて、さらなるいじめ防止に対する補完をしていくというような施策というものも考えられており、不完全な部分をより完全に近づけていくというための仕組みをこれから早急につくり上げていく、との答弁がありました。

話を戻しましょう。再度先ほどの資料をご覧下さい。
「いじめの現在の状況」の欄の、解消に向けて取り組み中と継続中がともに0になっていますね。教育委員会指導課長から「24年度については、平成25年3月31日現在では解消」との答弁でした。

半田はこの答弁を聞いて、正直呆れました。単刀直入に発言しました。その発言の一部を引用しましょう。

「それはおかしいでしょう。現実にいじめはあるんじゃないですか、いろんなところに。で、平成25年3月31日の段階で解消したという理屈自体がおかしいと思いませんか。解消した、でも、もう一回再発したっていうのと、いじめられてる環境が継続されてるっていうのは明らかに意味が違いますよ。平成25年3月31日でいじめがゼロって言い切る神経が、私には全く理解できないですね。つまり、解消された、でも、もう一回再発したっていう話の次元と、いや、実は継続されてましたっていうのとは明らかに意味が違うと思うんですよ。実際に担任の先生から上がってきた数字のベースで見ると、解消されてることになりましたってなると、これはちょっと失礼な言い方ですけど、あくまで詭弁じゃないですか。実際にいじめが継続しているってことがもし発覚した場合に、三鷹市さんは、教育委員会さんは、いじめゼロって言ってましたよね、同じケースが再発したってことになるんですかというふうになりかねないんじゃないですか。」

皆さんもおわかりと思います。いじめが年度末で都合良くピシャッとなくなるはずなんて考えられないですよね。半田は質疑を続けました。

「(いじめが)発覚したときに見てる先生が、いや、これは解消したと言っちゃって、3月31日の段階でいじめはゼロになりましたと。例えば1日明けました、4月1日、新たないじめが再発してますというのは、これは通じませんね。解約、新規の扱いで、4月1日から新たないじめが発覚しました。ああ、何か、たまたまた同じケースらしいですねって、これはね、だめですよ(中略)逆に不信感をかうんじゃないですか?」

つまり、いじめを最初に認知するクラスの先生が、「私の出世に響いたら困る。だから、一定の解消が図られたということにしておこう」と考えられたらどういう事態になり得るでしょうか?

年度末である3/31でゼロという報告が上がってきて、万歳、三鷹市にはいじめありませんでした、という可能性すら考えられるんです。

重要なことは、解消か否かの判断に、第三者的な監査を入れられる発想がなぜないのか?という点なのです。一定の解消が図られたが、継続支援中と判断する人間が担任じゃないのが、むしろ筋じゃないかと思うわけです。いじめを認知した先生がいじめは解消したと判断する…これはひとり相撲ですよ。そうではない、あくまで解消したっていう人間が、別に私は必要だと思います。
 
このような流れがあった後に、今回の行政報告というわけです。今回の資料についてはこちらをご覧下さい。

三鷹市いじめ防災対策推進条例(仮称)の概要

先ほど書いた認知という概念についての疑問を、今回も質問しました。概略を書いておきましょう。

半田
「誰が判断するのか?ここが問題なのである。担任の先生が判断したことを校長が把握して、教育委員会に上がってきて、そこでスルーされてしまうようでは第1次判断者である担任の先生の判断が全てとなりかねない。ここが怖い。
解消並びに解消に向けて取り組み中と、誰が最終的に判断するのか?第1次判断者である担任の先生が間違っているか、正しいのか?をチェックするのは誰なのか?」

教育委員会指導課長
「解消の判断については、いじめを受けた児童・生徒と保護者の心情を第一に配慮した対応をしている。
その後、学校の教員がいじめ被害者の見守りを組織的に見守る体制はずっと作っていく。定期的に聞き取りもする。1ヶ月程度こういう体制を保つ中で、スクールカウンセラー、学校管理職、他の教員等多角的にいろんな角度から見て、いじめに当たる事実が起きていないかなと判断した上で、再度いじめ被害者の児童・生徒と保護者から聞き取りをする。
そこで、いじめ被害者の児童・生徒または保護者から、いじめはなくなったが不安があるという場合に、一定の解消が図られたが継続指導中という形の報告となる。
校内の組織としては、生活指導部会で複数の教員と管理職が交わったところで全ての情報を出したところで総合的に判断する形であり、それらを踏まえて最終的に校長が報告する形になっている。
いじめが再燃しないということはない。言葉は解消でも、いじめ再発の可能性を想定して卒業期まで見送る視点から、その後も学校全体で引き続き見守り体制を続けていく。
これら一連の対応経過については、問題行動等状況確認シートを教育委員会と学校がやり取りをする。学校からの報告もあれば、教育委員会から逆に「この子については解消というがどうなっているのか?」という聞き取りをする中で、情報共有をしながら情報を把握している。」

この答弁を聞いて、少しほっとしたというのが正直なところです。
ですが、この委員会の数日前に、実は残念な事件があったのです。

ある地域で(三鷹ではありません)いじめ発覚後、加害者と被害者にクラス担任が面接をし、その後解消と判断された事例で、残念なことにその後に被害者が自殺してしまったというニュースが流れたのです。

この報道を読売新聞の記事で見ました。まず、あぁやっぱりこういうことが起こってしまったか、と残念な気持ちになりました。
つまり、学校の先生の判断が信用ならんということの、最大の証左でもあったわけです。

半田は質疑を続けました。
「重要なのは、解消という報告が上がってきた時に、本当に解消したのかのチェックを二重にも三重にもかけてやるということである。」

東京都の条例化もありましたし、時期的にこの時期にいじめに関する条例をつくることは当然の話です。
パブリックコメント手続きを経由することも頷けます。

いじめ問題は、いじめをどう解消するか?という視点で語られがちですが、私は違うと考えます。
これはまさに人権保障の問題なのです。私は「民の生きるを守る」に直結する事にのみ税を支出すべきであるという哲学を持っていますが、このいじめに関することはまさにその典型です。

子どもの生きるを、大人がどう守るか?

これがストレートに問われているわけです。

学校以外にいじめ被害を訴えた場合、例えば警察、人権擁護委員、教育委員会への直訴など、複数の窓口があることを、保護者に知らせ続けることが重要になってくるでしょうね。入口が1つだけじゃないというのは、親としては心強いですね。
そういうところからの情報、つまり担任の先生以外からの情報を、教育委員会としてきっちりと把握できる体制なのか?これは以前予算委員会で聞いたことがありますが、問題ないと見ているところです。これが現状も続いているのかは、確認する必要がありますね。

もちろん、条例化自体は賛成ですし、特にこれはダメだというところもないですし、その意味では歓迎なのですが、これを機に、いじめの認知のあり方は本当に機能しているといえるのか?担任の先生が見過ごすことが仮にあるとすれば、その不作為をどうカバーする体制をつくるのか?この辺りがポイントでしょう。実際は12月議会に条例制定案が上程されるでしょうから、その際の議論となります。

大変長くなりましたが、文教委員会で報告したいことは、このいじめに関する行政報告でした。流れをまとめる必要があると考えたので、大変長い記事となりました。最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。