多選批判はもう争点になり得ない | 半田伸明のブログ

多選批判はもう争点になり得ない

新潟市長選で興味深い動きがあるようですね。現職は確か自公民第連立に支えられているでしたよね。

新潟市長選 自民推薦候補を月内にも選定(読売)

これを見ると、現職は自民の候補に入っていないようですね。篠田さんは多選批判で見かけましたので、ちょっと書いておきますね。

我が国に民主主義はありません。あるのは、税を取り好きに使う権力者と、取られ損の税に我慢する納税者の二極構造です。この2つの極は埋めようがない深い溝があり、この溝がないかのように偽装しているのが、民主主義という概念であり、自治体の偉いさんが好きな協働という概念です。

多選批判というのは、要するに権力者の地位に居続けるのはおかしいという話で、権力者側につくことができない側が訴えやすい理屈なのです。これが通用したのは、2009政権交代まででした。あの時までは、まだ政治に期待する事が若干ながら可能だった時代だったわけです。取られ損の税に我慢する納税者は、ガソリン値下げ隊等に誘発され、怒りをストレートにぶつけました。これで政権がひっくり返ったのです。これがあの政権交代だったのです。

ところが、ふたを開けてみたら、民主党政権は、ただの増税政権に成り下がってしまいました。取られ損の税の怒りの代弁者が実は増税屋だったという裏切りは、取られ損の税に我慢する納税者に大きな失望を与えました。その結果発生したのが、政治無関心層の拡大であり、投票率の低下です。納税者側にとって最後の戦いだったかもしれないが、民主党ですらダメなのかということに気付いてしまったわけですね。

この一連の流れは、多選批判という争点のあり方に大きな影響を与えたと考えているのです。権力者の地位に居続けるのはおかしい、だからこちらに権力を渡せという理屈は、結局、税を取り好きに使う側の内部抗争でしかないと、納税者側が気付き始めたのです。結果として、多選批判は納税者の心に響かなくなったというわけです。

このことをはっきりと証明したのが東京都中野区長選でした。今回の新潟市長選についても、多選が良いだの悪いだの様々な論が出る可能性があるが、たぶんどれも納税者には響かないでしょうね。それらの論は、権力のあり方についての論であり、二極構造を考えると、納税者側にとってはどうでも良い話だからです。

従って、多選が良いか悪いかは、たいした話にすらなりません。多選批判が争点になったとしても、投票率は下がるでしょうね。もう政治が無視され始めているのだから仕方がないのです。怒りを表明しないのはおかしいという人もいるだろうが、答えは簡単で気に入らなければ出て行けば良いのだ。移動の自由はやはり偉大ですね。

移動の自由がない方でも、諦め感が先に来て投票に行かない人は多いでしょう。このように、多選の是非はもう既に論点ではないのです。これからは、どんどん長期政権が地方で生まれることでしょう。そして、さらに、ここが重要なのですが、それが良い事かどうかという議論自体、国民には響かない時代が、やがてやってくるでしょう。

景気下降サイクルが終了するまで、取られ損の税に不満を持つ納税者は我慢するしかないのです。このことをなんとなくだが納税者は肌で感じ始めているのではないか?そんな気がしてならないのです。

では、次に取られ損の税に不満を持つ納税者が気付く現象は何だろうか?

それは、政策ごときでこの国は一向に良くならないという冷酷な現実ではないでしょうか。今まで2025年8月まで景気下降サイクルが続くと何度か書いてきました。アベノミクスなんて下降の最中の戻り局面を誇張しているだけの話にすぎませんから。次のドル高ショック発生時に、このことに納税者は気付くことでしょう。

最後になりますが、個人的にはこういう流れは大きな問題だとは思いますよ、もちろん。しかしですね、どうにもならないのです。私含め権力をチェックする立場の政治家がこれからはどんどん抹殺されていくでしょうね。残念ながらこれも宿命なのです。