ベビーシッター宅での2歳児死亡事件を、景気サイクルとデフレの側面から考える | 半田伸明のブログ

ベビーシッター宅での2歳児死亡事件を、景気サイクルとデフレの側面から考える

ベビーシッター宅での2歳児死亡事件は、もう既に皆さんご存知の事と思います。病児保育で有名なフローレンスの駒崎さんが既に問題点を明らかにしていらっしゃいます。

ベビーシッター宅での2歳児死亡事件についての解説

このシッターは別のお子さんにも危害を加えていたようです。

別の3歳男児がやけど 逮捕のベビーシッター(共同通信)

これはもうベビーシッターがどうのこうのということではなく、この男性自身の問題と見て良いのではないでしょうか?あまりにひどいですね。

駒崎さん始め様々な識者が問題点を明らかにして下さっていらっしゃいますので、私は違った視点でこの問題につき書いておきます。

何度かTwitterやこのブログで景気サイクルの事について書いてきました。大きく81年のサイクルで景気の上げと下げをワンセットにしているというものです。現状は1989年のバブル崩壊から40年後の約2030年あたりまで景気下降が続くと見ています。
政策レベルで景気サイクルの流れに太刀打ちできるわけがなく、現状は景気下降サイクルだからこそ、景気を良くするという発想ではなく、「民の生きるを守る」に特化すべき時期だというのが私の考えです。

さらに、デフレという側面があります。デフレ下では現金の価値が上がり、モノの価値が下がります。景気下降もあり、価値の高い現金は目減りする一方です。モノは安くなっても現金の価値は上がっているので、ますます現金確保が必要になる…そんな時代なのです。

つまり、暮らしていく為の現金確保がより重要になってきていて、これが求職者の増に繋がっているわけです。待機児童問題の本質はこの点にあります。要は生きていく為に、共働きでないとやっていけない時代になってしまっているのです。子どもは家庭で育てるべきとか生ぬるい事を言っている場合ではないのです。

となると、求職活動している間、さらには求職が成功し、実際に働く事になったらなおさら、預け先確保が必要になってきます。ところが現実には、子育て予算は不足しています。生き抜く為に働く必要があり、現金確保しなければならず、何としても預け先をという保護者がいる一方、供給が追いついていない事態なのです。

供給が追いつかないなら、「現時点で」預けられるところを探すしかないですね。ここで留意すべきは、ヤミ保育の需要が発生するという点です。今回の悲劇もここが議論のスタートでしょう。考えてみればヤミというのはニーズがあるから生まれるのです。

解決策はどうすれば良いでしょうか?
答ははっきりしていて、これはもう国策として、子育て予算を拡充するしかないのです。生きる為に現金を確保する為に働く、そして、その方々のお子さんの預け先が問題になっている…まさに「民の生きるを守る」に直結することなのです。

税は助け合いの原資なのですから、こういうことにこそ使われなければならないと考えます。

保育所という施設が良いか、シッターも良いのか、というのは議論としてあり得ますが、まずは今まで述べてきたような前提を共有し、子育て予算を拡充するべきでしょう。これは基礎自治体ではいかんせん限界があります。国の金でどうすべきかを考えなければならないのです。国会議員センセはお気づきなのでしょうか?

さらに、ネット上では、「預けた親が悪い」みたいな議論があるようですね。びっくりしました。こういうのは、「生きる為に預けざるを得ない」という現実を無視しており論外ですね。更に、人によって特殊事情もあるでしょう。今回の被害者の母は、おそらく特殊な勤務形態だったのではないかと推測しているところです。

大きな事件があると議論が脇道にそれる事はままあります。
「誰が悪いのか?」というよりは、「何が原因なのか?」「解決策をどうすべきか?」という議論が必要です。気をつけたいと改めて実感しているところです。