改革はもう古い。これからは税支出哲学が問われる | 半田伸明のブログ

改革はもう古い。これからは税支出哲学が問われる

民主の細野さん、維新の松野さん、結いの江田さんらが集まって、野党再編を目指す超党派の勉強会「既得権益を打破する会」が開かれたとの報道がありました。細野さんは「改革へのメッセージを野党からも出すべき」という発言をしたようです。改革とは何でしょうか?改めて考えてみます。

誰もがこれはおかしいと思う事を指摘して、税の投じ方が変わる…これが政治家の考える改革像でしょう。おかしい対象を変えるという発想は、取られ損の税を我慢している納税者の側からするならば、実に当たり前の事です。この潜在的な心理状態があるから、未だに改革と言う言葉が通用するわけです。

しかし、この現象をもう少し考えてみる必要があると思っているところです。すーっと胸のすくような改革と言うのは、要は、税を取り使う側の官を屈服させる瞬間でもあるわけです。取られ損の税を我慢している納税者が期待するのは、まさにここで、だからこそ政権交代という劇がおきました。しかし民主党は増税政党に堕ちてしまいました。

改革すると言いながら裏切ったじゃないかという残念感を、取られ損の税を我慢している納税者は体験したのです。これはもう、なんといいましょうか、決定的な致命傷だったなぁと思えてくるのです。もはや「改革」という言葉は死語になりつつあるのではないか?という危惧感さえありますね。

ここで考えてみたいのです。
今までいわれてきた改革とは既に支出済の事象を変える事を指していなかったか?と…。

事業仕分けなどがその代表例ですね。「済んだ」話にメスを入れる事が改革と思われている節がなかったかを考えてみたいわけです。
しかし、ある事業が廃止されても、看板替えしたり、別の省が担当したり…。やっぱり限界があるのでしょうね、事後チェックは。

じゃぁ、支出前にメス入れりゃいいじゃんとなって行くのは当然じゃないですかね?
言い換えれば、支出前だからこそ、「税を何に支出すべきか?」をはっきりさせることが重要という事になるのです。

今後重要になってくるのは、個々の支出済の済んだ話、すなわち過去形のものをメスを入れる事は当然の事ながら、これからの話、すなわち「どういうことに税を使うべきか?」という未来形のものも議論すべきという事です。改革と言うなら、その改革とは何なのか?もっと掘り下げて欲しいものですね。

改革という言葉は今までは通用したが、今後は税支出哲学を明らかにする事を、取られ損の税に我慢している納税者側は求めていると思うのです。私は、税とは「民の生きるを守る」に直結することに「のみ」支出すべきという考えです。いわば、半田なりのメルクマールですね。税支出のメルクマールを明らかにする事こそ、今政治家がやらなければならない事なのです。

そして、税支出のあり方をはっきりさせて、選挙を戦うべきですね。それでもし多数が取れたなら、官に税支出のあり方を告知すれば良いのです。これこそが真の政治主導なのです。

野党が改革とかけ声をかけるのはいいが、いずれ納税者は見向きもしなくなるでしょう。その動向は既に始まっているとさえ思えます。野党再編は注目して行きたいのはやまやまですが、改革という言葉に頼るようだと、限界はすぐに見えてくるでしょうね。