【時事】石破幹事長発言に見る国会軽視文化の始まり | 半田伸明のブログ

【時事】石破幹事長発言に見る国会軽視文化の始まり

特定秘密保護法案が参議院で可決されてからまだ数日しか経っていないのに、あれよあれよという間におかしな動きが始まりましたね。

「秘密」暴く報道 処罰も 石破氏発言、会見後に撤回

この記事は、今朝の朝刊となっていますが、既に昨晩情報が飛び交っておりました。2時間後に撤回とネットで見たのですが、この記事では1時間半後になっていますね。いずれにせよ、短い時間です。

私は昨日の時点では、この撤回までの時間の短さに注目していました。自説を突っぱねるというには、あまりに素早い撤回だったわけで、要は法の中身を良くご存じなかったのだろうと見ていました。

与党の幹事長ともあろう方が、法の内容を良く知らずに、自分の考えで記者会見に臨むというのは、あまりにも常識はずれで、この人が幹事長のままだと自民党はいずれ致命傷を負うだろうなという目で見ておりました。

ところが、先ほど次のニュースが目に飛び込んできました。

石破氏、秘密報道の自制要請 「処罰」言及再び波紋か

つまり、時間の流れで追うと、次のようになります。

記者会見で、記者が罰せられる可能性があるという認識を示す。

記者は罰せられないと撤回。

報道が処罰対象にならないと断った上で、疑問を示す。

撤回までならまだ良かったのです。しかし、その後、処罰対象にならないと断った「上で」疑問を示したのです。

ここまで来ると、ただ知らなかったというだけでは済まされなくなってしまいますね。はっきり申し上げれば、確信犯と言われても仕方がないでしょうね。

さて、いくつか疑問が出てきます。
まず、石破幹事長は、国会をなんだと思っているのか?という点です。
審議不十分との声もありますが、ともかく審議はされました。反対の声は根強かったですが、それでも可決されました。つまり、法としての最低限の要件は満たされているのです。しかも、つい数日前の出来事です。
このような法を、可決された後に個人的な疑問を呈するのなら、なぜそれを国会で示さなかったのかと言う至極当然の疑問が出てくるのです。
決まったからには遵守しなければならないわけです。もちろん反対運動は運動としてはありでしょう。
しかし、決まったものを、一権力者の都合で勝手に運用面で変な解釈をつけられては困るのです。私はここが怖いのです。法の明文で曖昧な表現でも、規則の制定ないし実際の運用で拡大解釈されてしまいかねない、ここが怖いのです。
もしそうなったら、国会なんて要らないですよとすらなりかねないわけです。そりゃそうでしょう。決まったものを後刻権力者の都合で変えられてしまう危険性が否定できないなら、最初から国会は要らないとなりますよ。
与党野党問わず、国会とは何なのか?が、実は今問われているんですよ。

あと、もう1つ。権力者としての自覚の問題です。与党の幹事長は、そりゃもう立派な権力者ですよ。
もう随分前の記事になりますが、猪瀬トルコ発言をまとめた次の記事をご覧下さい。

後刻弁解コストを事前に排除できる政治家か?

ここで次のように書きました(以下引用)
「こういう発言をしたらこういう報道をされかねないとか、そういうことに事前に気を配って、後刻発生するであろう危険を、事前に削除するって、けっこう大きなことではないかと思うのです。余計なエネルギーを割かずに済むわけですから。
ここ数年、後刻弁解コストを考えることなく、先走る現象が増えてきたように感じますが、気のせいでしょうか?政治家という生き物は、後刻弁解コストに思いを馳せることができないのなら、精神的にきつい職業だと思うのです。
権力者の行動があまりにも軽く思える…こういう漠然とした不安を抱いているのは、私だけなんでしょうか?」

いかがでしょうか?
今回も全く同じパターンです。石破さんの一連の言動は、権力者としての行動として、あまりにも軽く思える事案ですね。

報道が処罰にならないと断った「上で」自説を述べるのは、可決されたばかりの法、及びその審議の為に流した国会議員の汗を無視するものであり、しかも、後刻弁解コストを全く考慮していないということになります。

正直申し上げて、私はいまだに信じられない思いでいっぱいですが、もうここまで来ると確信犯としか見る余地はなさそうですね。言動をどう受け止めるかは個人の自由の問題でしょうが、私は真っ先に、なぜ与党の幹事長という権力者が国会軽視に繋がりかねない言動を取ったのか、ここに不快感を感じました。

可決されたばかりの法が、与党の幹事長という権力者により、可決後わずかな日数しか経たないのに、法の無視と取られかねない発言をする…
こんなこと、今までありましたか?怖い時代になったものです。