空回りしているネット選挙運動part2…SNSをどのように戦略に取り込むのか? | 半田伸明のブログ

空回りしているネット選挙運動part2…SNSをどのように戦略に取り込むのか?

先日、ネット選挙運動解禁につき、候補者の側が「効果」面につき考えることに問題提起をしました。

空回りしているネット選挙運動

ここに書いたように、効果を考えること自体、既に終わっているのですが、仮に効果を見込めるとした場合、どういう経路が考えられるのか?について、書いてみようと思いました。

というのも、面白い記事を発見したからです。
まず1つ目はこちら。日経です。

ネットの選挙運動「見た」、序盤は低調 本社調査

この記事にあるように、やはり有権者は、候補者のストックの部分を重視していることがわかります。先ほど紹介した私の記事も、ストック重視のことを書いています。
候補者がフローの部分を重視する一方、有権者は冷静に候補者のストックを重視しているというのは、何とも興味深い現象です。政治家サイドがネット選挙運動解禁と騒いだところで、有権者はいつもどおりの投票意思決定過程を踏んでいるに過ぎないわけですね。

ストック部分は分散していたら全く意味がありません。ホームページやブログで統一する必要があります。

あと、もう1つ重要なことがあります。ストック部分(以下、基地と表現します)は、なりすましの危険性があるところは絶対にさけるべきです。当然ですね。こう考えると、基地はSNS以外にするべきだと思います。
よくFBに基地を設定する事例を良く見かけますが、正直申し上げて「この人は怖くないのかな?」と思います。私だったら、怖くてとても無理ですね。

次に2つ目です。毎日です。

参院選:候補者本人開設のフェイスブックが「偽物認定」

この記事の中にある出来事は、私に取って全く想定外でした。だって、本人が存在意義を否定されている様なもんですからね。
この記事を目にした時、びっくりしたと同時に、「この方は基地をどう設定しているんだろう?」というところに興味が行きました。

このような危険性を考えた場合、SNSの数を増やせば増やすほど怖いことになるとは思えませんか?

Twitterにしろ、Facebookにしろ、要はこれらを入り口にしておけば良いわけです。基地に誘導する為の入り口です。

あとは、入り口の数についてです。
候補者として認知してもらえたら、有権者はネット等で調べるんでしょうが、普通はフルネームで調べるんじゃないですかね?私事で恐縮ですが、私の場合前回の選挙で、私のブログに辿り着いた方は、フルネームで検索している方が多かったですね。

例えば、半田伸明でGoogle検索かけると、まず最初にブログが出てきます。次にTwitterアカウントが出てきます。

有権者の手間を考えたら、この状態でFacebook追加しようとは思わないですね。
私もかつて、ほんの短い期間でしたが、Facebookをやっていました。しかし、拡散性等を考えた場合、Twitterの方が意味があるなと思い、Facebookをやめてしまいました。いたずらに入り口を増やすより、むしろ入り口を狭めて、ブログに誘導する方がはるかに意味があると考えたからです。

一方、先ほどの毎日の記事にある方は、相当な焦りがあったことでしょう。私の目から見ると、この時点で戦略の積み上げ方が弱いなぁ…となるわけです。

有権者は候補者のストック部分を調べにくるのです。Google検索した場合に窓口が限定されていると、より直線的に候補者のストック部分に辿り着くことができます。ここはけっこう重要なことではないかと考えています。

多くの政治家がFacebookを活用なされていらっしゃるでしょうが、「どうすれば、有権者は私の考え方を積み上げた基地の部分に、より早く到達できるだろう?」と考えたら窓口はやはり限定しておくべきだと思うんですよね。

もっとも、SNSといっても、多様なサービスがありますから、どれを使うかは候補者のセンスによるでしょうね。私個人で言えば、拡散性を重視します。今のところ、Twitterが一番優れているのかな?と考えています。

まとめますと、
・なりすましの危険性、もしくは本人なのになりすましと判定されてしまう危険性を考えた場合、SNSに基地をおくべきではない。
・基地は基地として、選挙運動期間関係なく、日頃から積み上げておくべき。
・SNSは、基地への誘導策の一環として考えるべき。
・SNSの中でも、拡散性を重視すべき。

となります。

FacebookはFacebookの良さがあります。かなりディープな問題で悩んでいる時に、仲間内に投げかけてやりとりすることには、意味があるかもしれませんね。別にFacebookを否定しているのではなく、良さは良さとして認めた上で、では、私の戦略にどう組み込むのか?を考えるべきだと思うんです。私は、上記のように考えてFacebookをやめる決断をしました。

先ほど日経の記事と毎日の記事を紹介しましたが、片や有権者は候補者のストック部分を重視することを報道している一方で、片やなりすましの危険性、もしくは本人なのに誤解されてしまう危険性を排除できないサービスが使えなくなって困っている報道だったので、この温度差は何だろう?と考え、今回の記事としました。

多様なサービスが充実しているからこそ、有権者の投票意思決定作業に資するべく、入り口部分は限定すべきである…かなり異端な考え方なんでしょうけど、私にはこの考え方がしっくりくるんですよ。皆さんは、どう思いますか?

もっとも、私自身、日頃はTwitterでくだらないネタを流したりするわけですが(笑)。