景気下降局面はいつまで続くのか?景気サイクルと黄金分割から考えてみる | 半田伸明のブログ

景気下降局面はいつまで続くのか?景気サイクルと黄金分割から考えてみる

日本ではバブル崩壊以降、様々な景気対策が施されてきましたが、成功したためしがないというのが正直な感想です。
政府は市場をコントロールできないのは、ほぼ確定的な結論と言っていいのではないでしょうか。ここ数年為替介入も何度かありましたが、気がついたら介入時点のラインを易々と割り込まれているのが現実なのですから。

なぜ景気悪化局面で施される政府の対策が失敗するのか?景気サイクルの考え方が重要になってきます。サイクルが終盤にならない限り、何をやってもムダというわけです。

そこで、景気サイクルについてどう考えるか?今まで読んだ本の中では、陳満咲杜氏の「相場の宿命」という本にある、サイクル論がわかりやすいですね。ここでコンドラチェフサイクルについての記述があります。コンドラチェフサイクルは、ざっくり言うと長期の景気循環の理論ですが、近時は「ニュー・コンドラチェフ・サイクル」なる概念があるそうです。その中のひとつに、40年のハーフサイクルを2つ含む、80年のサイクルを持って1個のサイクルとする説があるとのことです。私はこの説にかなりの関心を寄せています。

さて、一方で、若林栄四氏の著書には「この世の中はすべて黄金分割で動いているという発想を持っている」とあります。黄金分割といえばフィボナッチナンバーとすぐ連想しますが、両者の関係について書くと長くなるので、割愛しますが、こちらはよくまとまっていますね。

0.618と1.618が基本数字、この2つの数字を加減乗除すると、一定の法則が導き出されます。若林氏によれば、62,162,262,424が重要数字であり、さらにその半分の31,81,131,212も重要数字としてみることになります。これら8つの数字が節目となるわけですが…。

先ほどの80年サイクルと考えると、81という数字が似通っていることに気付かされます。
ひょっとしたら、81という数字が大きな意味を有しているのではないか?と仮説を組み立ててみようと思いました。

そこで、明治維新以降の流れを見てみましょう。

<上昇サイクル>
明治維新→日露戦争勝利 1868年→1905年(37年)
<下降サイクル>
日露戦争勝利→朝鮮戦争開戦前夜 1905年→1949年(44年)
朝鮮戦争以降、日本の景気は良くなっていきますので、1949年までを一区切りと考えると、明治維新から数えると、上昇と下降合わせて81年のサイクルがあるとの仮説が考えられます。

その後ですが、

<上昇サイクル>
朝鮮戦争→バブル崩壊前株価ピーク 1950年→1989年(40年)

これはわかりやすいですね。

では、ここから下降サイクルをどう考えるべきか?

前回と同じサイクルと考えるならば、81年サイクルから40年を引いた41年が下降サイクル期間となります。
1989年+41年=2030年となり、つまり、2030年まで下降サイクルが続くのではないかという仮説を組み立てることが考えられてくるわけです。

また、2030年は明治維新から数えると、162年目という重要な年となります。現時点で、私は2030年までは景気の下降局面が続くと考えています。黄金分割から考えても説明しやすいわけです。

別の視点から、株価のピークから考えて見ましょう。
バブル真っ盛りの1989年12月に株価はピークを打ちました。
162という数字を年数ではなく月数で考えた場合、162ヶ月は13.5年なので、13.5年ごとに節目があると考えることになります。
1989年12月から13.5年ずつカウントすると興味深いことが浮かんできます。2030年は3回目の13.5年となるのです。
年数のみならず月数からも、2030年というのが大きな節目となってくるのです。こういう重なり合いは偶然の結果と言い切れるのでしょうか。

まとめると、1989年の末に景気の上昇サイクルが終了し、下降サイクル入りした日本は、2030年まで下降サイクルが続く運命にあり、現状はその最中でしかなく、リーマンショックや東日本大震災や様々な出来事があったものの、それらは景気底打ち要因とはならず、まだまだこれから悪化すると考えるべきではないでしょうか。

1989年から2030年まで景気下降局面が続くと考えると、当然上げ下げの波を描きながらゆっくりと下がっていくわけですから、数年間は戻り局面とでもいいましょうか、景気上昇局面と勘違いしたりする場面はいくつかありえるでしょう。いわゆるITバブルと騒がれた時期もそうだったのかもしれませんね。リーマンショックも途中経過の一局面に過ぎなかったということなのかもしれません。

では、こういう仮説の下に、政治は何をすべきなのでしょうか?
景気サイクルの検証をすることは当然なのですが、少なくとも景気対策と称して施してきた様々な政策がことごとく効果を否定されているともいえますので、景気対策名目に政府支出を増やすことはやめるべきなのではないでしょうか。

数十年単位の景気サイクルを様々な角度から検証して、現状行われようとしている政策が果たして本当に必要なことなのかを、政治家は勉強すべきではないかと考えます。
前回のエントリーで「政治家は、何か形として実績を残すことが仕事と勘違いしているところがありますので、税を使う側についていたい、つまり権力を行使する側にいたいと考えるようになります。国政で言えば、政権交代、地方で言えば首長に擦り寄るいわゆる与党化現象です。」と書きましたが、今こそ政治家はこの意識から脱却すべきです。景気下降局面だからこそ、あえて政府は何もせずに、そして民の更なる活力を引き出すべく更なる規制緩和を施すべきなのです。これこそが今まさに必要なことなのです。

景気サイクルをじっくりと検証することなく、政治家特有の「やりました意識」、官特有の「仕事つくりました意識」がこの国の景気下降サイクルの助長要因となるのでしょう。国政レベルで政権交代に民は期待を寄せましたが、民主党に見事に裏切られた結果、官と官寄り政治家の独壇場が続いている昨今で、上記の景気サイクル他考えたときに、地方の首長レベルで、国の官に対し、「そういう事業は不要だし、無駄な補助金でしょ」と指摘する方を増やさないとダメですね。大阪の政変劇は、実はこういう角度から考えることも必要なのではないでしょうか。

もう二年も前の話になりますが、景気対策に関連して三鷹市で補正予算が議論になったときに、私は次のように反対討論を述べました。長いですが、全文引用します。
「今回の補正は、国の景気対策の一環として行われているものだが、そもそも景気対策に何らの効果も見込めないことは、過去の歴史が証明している。なのに、負担の先送りばかりしている政治や行政が続いているのが現状の日本の姿である。
そもそも、このたびの経済危機が、本当に100年に一度の経済危機であるならば、さらに100年後どういう事態になっているかを想定した政治家はいるだろうか。消費刺激型の景気対策は、しょせん将来需要の先食いでしかないのである。国の政治とは、将来をデザインするデザイナーのようなものであり、まさに国士無双が必要な時代に突入しているのである。なのに、日本古来の文化とも言える庄屋文化から抜け出せないでいるのが、現状の日本の政治家像である。100年後を想定するならば、そのときに財政が壊れていたらどうしようという危惧感を真剣に持たなければならないのに、そこに思いが至っていない。
今回の補正にもあるように、手当のたぐいについては、次のような批判があることを忘れてはならない。「そもそも最初から、税として、その分、払わなければ済む話ではないか」。この論は正当であり、批判の余地がない。何ゆえに税を集めるのか。何ゆえに、その集めた税を特定の支出に使わなければならないのか。この当たり前の議論が当たり前になされていない現状を、我が会派は真剣に危惧しているのである。
今まで政治は、思想が対立の軸を示してきた。保守や革新といったこの対立は、既に過去の遺物になっていることを我々は気づかなければならない。今後の政治は、この国、日本を生き残らせるのか、それとも消滅リスクを冒しても浮世を満喫するかという軸に移り始めているのである。ところが、今回の総選挙も、「やります政治」と「やります政治」の対立でしかなかった。真に国の将来を心配して、この国の再建をどうするという議論より、目の前に菓子パンを並べて、我がパン屋がおいしいと言っているレベルを脱し切れていないのである。これは政治という文化の劣化以外、何物でもない。
このような最中に組まれた今回の補正である。国家破綻リスクが着々と近づきつつある中、セーフティーネットの一環として見ることのできる新型インフルエンザ対策と住宅手当緊急特別措置事業費以外は、事業実行の必然性を見出すことはできない。今やれば効果があるというレベルの事業と、今やらなければいけないというレベルの事業は当然ながら重みが違ってくるのである。そもそも公のお金とは、どういう基準で支出されるべきか、いま一度、私たちは真剣に考え直す必要がある。例えば、住民基本台帳カードの発行コストは1枚当たり2,050円の負担であるのに対し、既存の7万5,000枚普及している市民カードの発行コストは1枚当たり50円である。どちらを推進することが未来を見据えた政策といえるだろうか。答えは明らかである。
以上指摘し、本議案に反対する。」
(ここにある「今回の総選挙」とは、2009政権交代の選挙を指します)
2年前と、現在と、私の気持ちは全く変わっておりません。そして、景気サイクルにつき2030年まで下降局面が続くとの考えをまとめつつあるのです。1970年生まれの私は2030年には60歳。どうやら60歳まで辛抱の日々が続くことになりそうです。