このところ沸々と思うことがあった。
思う、というよりも違和感のようなものかもしれない。
うまくは言葉にしようとすればするほど、その違和感は美しさから遠かる。吐いてみっともない言葉、書いて醜い文章をわざわざ残すべきではない。

そんな折、或る本の中にその違和感の核心をつくような一節を見つけた。ここにご紹介させて頂きたい。

井上敏樹著・『男と遊び』より

人は相手を通して自分の中に作り上げたイメージと付き合う。そしてそのイメージから外れた行為をすると相手を非難する。
 曰く、そんな人だとは思わなかった。
 曰く、お前には裏切られた。
だが、実は自分が作ったイメージが間違っていただけなのだ。相手のせいではない。
(中略)本当の愛の第一条件は相手にどんなイメージも持たない事だ。


‘或る本’とは仮面ライダー555の生みの親でもある井上敏樹先生の名著だ。僕は井上先生の思考が好きで、いつも痒いところをかいて頂いてる感覚に陥る。
引用部はテーマが男と女の段落であったため恋愛をベースに書かれているが、これは‘人’と言う生き物全般が持つ性分の話のようにも思える。

僕は思うのだ。それもここ数年のこと。
人はこうも承認欲求の強い生き物だったのか?と。
承認欲求自体は本能のひとつであるからそれを否定するつもりはない。ただ相手を選びなさいよ、という話だ。
例えば子が親に褒めて貰いたい、恋仲の二人が互いに求め合うことまではごく自然なことだが、明らかに距離のある対象にまで自分を(自分の都合を)押し付けることが普通になっている。テクノロジーの進化に人間の理性が追い付いて行けていないのだろう。もともとはそんな人間ではなかったはずの人もスマホひとつで人間は簡単に変わる。それほどまでに、自分の声が思ったまま相手に向けて発射出来るという装置が魅力に満ちているということか。
だが、魅力的なツールに必ず反作用があるものだと思った方がいい。どんな形であれ‘撃ちすぎ’は必ず自分に不満足と言う形で還元されてゆくだろう。個々でやりとりするメールと違い、SNS上のメッセージ送信はほとんどの場合で「了解です」には結びつかない。
ではどうすれば穏やかでいられるのか?
相手に注文を付けないことだ。
レストランでステーキを注文したのにスパゲティが来たらクレームだが、友人宅で夕食をお呼ばれした時には何が出ても感謝の気持ちで頂ける。
いちいち注文するより感謝は全てのオーダーを満たすことが出来るものだ。

そして不満は大抵の場合が自分で生成している。僕はそれを自己満足を文字って「自己不満」と呼んで笑うことにしている。
そしてこの「自己不満」というものを、
間違っても愛すべき相手に投げつけることのないように心がけたい。


以上、明け方に失礼。


そして井上先生、またお会いしましょう。





半田より。