「君には友人が何人居るかね?」

と、聞かれたならば

「2、3人…さもなくばせいぜい片手に足りるくらいだろう」

と答えるかもしれない。
他人がこの数字を聞いて少なく感じ取るか、妥当と感じ取るか、多いと感じるかは自由であるが、事実そうであるのだから仕方がない。これを‘友達と呼べなくもない人は何人か?’に変えることで一気に数を増やす裏技もあるが、それは無意味な統計だろう。

もう流石にこのような人間は減ったものだと信じたいが、ひところ携帯電話のアドレス帳の件数やSNS上で相互関係にある人数を引き合いに友達の数自慢をするような人間が確かに存在した。何を自慢の対象にしようがそれ自体は勝手なのだが、相手の認可を得ていないものを自分の財産であるかのように振る舞うことは些か滑稽に思えてならなかった。

では何故、一般的に‘友達は多い方が良い’という風潮がこの世の中にはあるのだろうか。
このことは幼少期、すなわち我々が物心を持って社会に投げ出された瞬間から半ば強制的に植えつけられて来た概念なのだ。
象徴的な歌がある。

『一年生になったら』
作詞・まどみちお   作曲・山本直純

いちねんせいになったら
いちねんせいになったら
ともだちひゃくにんできるかな
ひゃくにんでたべたいな
ふじさんのうえでおにぎりを
ぱっくん ぱっくん ぱっくんと


いちねんせいになったら
いちねんせいになったら
ともだちひゃくにんできるかな
ひゃくにんでかけたいな
にっぽっんじゅうをひとまわり
どっしん どっしん どっしんと


いちねんせいになったら
いちねんせいになったら
ともだちひゃくにんできるかな
ひゃくにんでわらいたい
せかいじゅうをふるわせて
わっはは わっはは わっはっは




今の世代の事情は分からないのだが、昭和五十九年生まれの僕は小学校入学時、この歌を歌った覚えがある。その時に歌詞にある「ともだちひゃくにんできるかな」のフレーズが‘期待’というよりも‘課題’のように思えてあまり好きな歌ではなかった。100人で食事して、100人で駆けっこをして、100人で笑わなければいけないのが小学校という施設なのかと思うとゾーッとさえしたものだ。
学校教育において真に大切な事は、ともだち作りと言うよりも社会性を身につけていくことだ。しかし幼児に「社会性」などと言う難しい言葉が解るはずもないので「ともだち」という類似語を当てがったことが、そもそもの誤解の根源である。集団生活の中で自分勝手な行動にはなるべく制限をかけ、協力を覚え、思いやりを持った行動原理を身につける。この過程の副産物が‘ともだち’という関係性を産むのであって、頭ごなしに前後左右の他人をいきなりともだち扱いすることは土台無理な話なのだ。この事に早々に気付いてしまった学童は周りを警戒して過ごすことなり、皮肉なものでそれが原因でひとときの孤独を生んでしまうことがある。自分もまさにその類だった。虐めにこそ遭った記憶はないが正直、小中学時代の学校生活は義務感めいたものだけを理由に通っていたように思う。それこそ‘ともだちと呼べなくはないともだち’は何人かいたが、両親以上の理解者とは言い難く家庭行事の方が余程楽しかった。裏を返せばそう結論づくほどの恵まれた家庭環境があったことに感謝しなければならない。

真の友達が出来ない理由の一つには‘真の自分’が未形成であることが大きい。明確な自分の趣味趣向から始まり、生き甲斐とは何かが見えてくると、まず時間の割き方が変わってくる。その中で不必要なものや人材の整頓が開始され、精神の部屋が整ってくる頃ようやく‘親友’という存在を自分の中に招き入れる準備ができるのだ。これは無論相手方にも同じ事が言えるので一方的に連れ込んだり、上がり込んだりしている内はいい関係が作れない。
そう、友人関係とはかくのごとくデリケートなバランスの上に成り立っている事が本来であり、簡単なものではないのだ。これが学生時分ならば使うアタマも知れていようが、大人になると‘友人関係’と言う看板をダシに何やら色々企む輩も多い。友達が多いことが悪いという話ではない。数を自慢のように思う思考が危険であり、一方通行ともなり兼ねない関係をねずみ算式に築くことを美徳とするのはリスク高いというのが僕の持論である。

信頼を仇で返されるのは御免だ。恨むのも忘れ悲しいの一言に尽きる。





取材をして頂いたり、バラエティ番組の打ち合わせなどで、

「芸能人の友達は誰ですか?」

という質問を受けることがある。

この質問をされると正直悩んでしまうのだ。平たく言えば「はいはい、どーせ私ゃ業界に友達少ないんすよ~すいやせんねぇ~」と言うことになってしまうのだが、言い訳をさせてもらおう。
これは質問形式に問題がある(クレームではなく)。ここまで書いて来たように自分にとって‘友達’とはかくも絶妙なカテゴリーにあり、そのワードで聞かれてしまうと該当者が激減するのだ。
例えば、
・よく食事にいく著名人は?
・尊敬している芸能人は?
・何かを教えてもらっている先輩は?
などと言うようにより細分化して頂けると途端に何人かの顔が浮かんでくる。
そうなのだ、僕が今日お付き合いのある芸能人はどなたも僕より先輩で‘僕の口から’は友達と呼ぶに恐縮な面々ばかりなのだ。

では代表例として数人の先輩方をこの場を借りてあえて『〇〇友達』の〇〇さん表記させて頂くとしよう。するとこんな具合になってしまうがご愛嬌としてお許し頂きたい。

・『歌謡友達』のあべ静江さん(歌手)
・『ライダーマニア友達』の京本政樹さん(俳優)
・『音楽友達』の近田春夫さん(歌手)
・『オタク友達』の中川翔子さん(タレント)
・『フォーク・眼鏡友達』のなぎら健壱さん(歌手)
・『歌友達』の野口五郎さん(歌手)
・『ギター友達』の野村義男さん(ギタリスト)
・『ラジオ友達』の林哲司さん(作曲家)
・『蕎麦友達』の馬飼野俊一さん(編曲家)
・『歌友達』の水木一郎さん(歌手)
※五十音順

等々…
やはり自分で書いてしまうと少々居心地が悪いのは仕方のないことか。
ここに挙げさせて頂いた方々は友達というより‘先生’が相応しい(中川翔子さんだけはリアリティのある友人関係であろう)。みなさん気さくに接して下さるが、ひとたびお会いすれば膨大なことを教わるのが常である。心構えの上で対等に接することが出来ないのはまだ‘友達の域’に達していない証拠に他ならないのだ。




最後に十七年来の友達の事を書いて終わろう。

知り合ったのは僕がまだ駆け出しの十九の頃。出世作となった『仮面ライダーファイズ』で共演した俳優・村上幸平さんである。僕とは八つほど歳の離れた兄貴でありながら不思議とそれほどの年齢差を感じさせない空気でいつも僕と向き合ってくれる。実はこれと言った共通の趣味があるわけでもないのだが、何故だがいつも会うとホッとする存在だ。きっとこれは年上である村上さんの配慮もあってのことなのだろう。互いにジュノンボーイコンテスト出身で仮面ライダーで共演ともあり、部分的に似た道も歩いて来た。ここでは書けないが双方悩みも無いわけではない。愚痴のひとつやふたつもそこはお互いに会話に盛り込みながら最後はいつも明るく別れて行く。これも持論だが、長く友人関係を続けたいなら会いすぎない方がいい。事ある毎に呼びつけあっていては、いつかどちらかが我慢をしなければならない場面に遭遇する。幸い村上さんとはここ数年は仕事で一緒になることも多く、仕事帰りの一杯が丁度いい具合なのだ。そんな折、我々の頭の中にあることは決まって『ファイズ』の事だ。いつになるかはわからないが、必ずもう一度ファイズやるために二人はこれからも語り合うのである。

巧と雅人として。

ファイズとカイザとして。




そして、親友として。


《2003年撮影、広瀬川原車両基地にて》





半田より。