撮影二日目。

『鴨川食堂』の撮影は太秦にある東映撮影所内のセットを借りて行われていた。メインとなる食堂、忽那汐里さん演じる'こいし'の探偵事務所、店の外観、それに対面する仏壇屋や道路も全てセットである。
前日に食堂の下見もした。明日ここで'あの人'と芝居をすることになる。想像しただけで押しつぶされそうな気持ちになった。
指定の入り時間よりも少し早めに支度部屋に行き衣装に着替えてメイキャップを施してもらう。萩原さんの姿はまだない。
メイクさんと雑談をしていると、支度部屋へと続く階段にゆっくりとした足音が響いてきた。プレハブ建ての階段は音がよく鳴るのだ。廊下向けの窓には磨りガラスがはまっていて外の青空の色だけを映している。そこに人影が指す。少し猫背のシルエットがゆっくり、それはゆっくりと入り口に近づいてくる。少なくとも僕にはそう見えていた。


き、来た…萩原さんだ…!


ガラっと引き戸を開けるとそこに白いジャンパーを着た萩原健一さんが居た。
メイキャップ中で前掛けをしたままだった僕はその場で立ち上がり振り絞るような声でご挨拶をした。

「おはようございます!この度、'伊達久彦役'でお世話になります半田健人です。宜しくお願いします!」

あまりに勢いよく立ち上がったもので自分がその時座っていた椅子が後ろに吹っ飛んでいた。その様子に少々驚いたように萩原さんは

「あ…あぁ萩原です。宜しく」

と一言。

想像したいたよりも柔らかな表情で言葉を返して頂けた。


支度が終わり息もつかぬ間にセットに移動して、ドライリハーサルの開始を待つ。
台本は楽屋に置いて来た。これは自分なりの覚悟であった。

前日の段取りと同じく、まず冒頭シーンの通しリハーサルが始まる。
僕が演じる青年実業家の若社長が、忘れられない母の肉じゃがの味を求めて東京から鴨川食堂を訪ねて来るシーン。セットには全員が揃っている。もちろん萩原さんも。
緊張はしていたが台詞は完璧に入れて来た。なにも恐れることはない。役者歴も十年以上だ、いつも通りやればいい。
シーンのスタート示すカチンコが鳴られせ、鴨川食堂の入り口の引き戸に手をかける。扉が開くとそこに萩原さん演じる'鴨川流'がいて目が合った。僕はここで名前(役名)を名乗る。


!!!


どうしたことか名前が出てこない…


芝居の中で目が合った途端、頭が真っ白になってしまっていた。

慌てて小道具の名刺を取り出し、名刺を渡す芝居の中で自らの役名を'読み上げる'ような始末に。いやはや、万全の準備というものも感情の前には効力を発揮しないケースもあることを思い知らされた。余談だが僕は今までの経験上本番には強い自覚があった。緊張感は伴うが決して'あがる'ことはない。しかしこの時ばかりは完全にあがっていたのだろう。自分の中での萩原健一という人物の大きさを自分のミスで改めて知らしめられた結果になった。

最初に大胆なミスを済ましておいたことで逆に肩の力が抜けたのかその後は順調だった。せっかくのこんな機会、緊張してばかりでは勿体ない。テストから本番に至るまで萩原さんとの時間を一秒逃さずとことん楽しめるよう気持ちを作っていった。
午前の部の撮影が無事に終わり昼休み。単身で京都に来ていた為、僕は監督と昼食をご一緒させて頂いた。正直、この緊張感を緩和してくれる相手はもはや監督しかいなかった。今考えるとそれはそれで大胆な人選であったかもしれない。しかし監督と話をすることで芝居の方向性は間違っていないか、萩原さんは納得して頂いているのかなど現時点でのスコアを確認できたことは大きかった。

十八時になり萩原さんとの初日が終わった。
ここでプロデューサーから嬉しい言葉をかけて頂くことになる。

「半田さんこの度は急な出演ありがとうございました。萩原さんも褒めてましたよ」



!!!


感情があまり表に出ないタイプの自分が思わず飛び跳ねそうになった。
今までも嬉しい思いは沢山経験させてもらったが、今回はその中でもかなり上位の喜びだった。この報告は僕の緊張をモチベーションに変化させていた。褒めることは甘やかすことだという考え方も世の中には確かにあるが、心底尊敬する人からの言葉には爆発的威力が潜んでいることもまた忘れてはならない。

緊張がほぐれはじめたことにより、萩原さんの芝居を観察する余裕が生まれた。
数々の名作を生んだ人がいかにして最終形に持っていくのかをライブで見ることができるこの上ない贅沢な環境だ。
いくつか驚かされたエピソードをここに書かせて頂こう。
萩原健一という役者がいかに事前に役作りをし、また'芝居を作ってきている'ということが垣間見れるエピソードだ。

それは'流'が廊下を歩いていると、ふいに壁にかかった一枚写真に目がとまるというシーン。
現場で自主練を繰り返す中、萩原さんはなにやら首を捻っていた。何かに違和感を感じている様子だ。しばらくすると美術スタッフが呼ばれて萩原さんが相談を持ちかけた。内容はこうだ。


「この額を後数センチ上にあげてもらえないか?立ち止まる時、目線が不自然なんだ。イメージではもう少し上に掛かっている感じだったから」



驚いた。額縁の高さ、つまりは目線の角度までが準備に含まれていたというわけだ。
その後、位置が修正され本番はスムーズに撮り終えた。
そうだ、今書いていて思い出した事があったので記しておこう。
このシーンの流れで僕はセットの階段を登り、左に曲がる芝居があった。ドラマ上はその曲がった先に部屋があるのだが、実際には部屋はなくドアを開けると崖のような作りになっている。リハーサルをする中で僕がまるで本当にそこに部屋があるように一歩入った所まで踏み込まないと、身体が見切れてしまうからギリギリまで進んでくれと指示が出た。萩原さんの前でこんな事くらいで躊躇していたら男が廃ると意気込んで、

「はい!ギリまで行きます!なんなら落ちてもこの高さなら大丈夫っすよ!」

なんて事を言い格好つけたつもりが、それを見ていた萩原さんが、

「無理はいけません。無理をしたところで責任を取ることになるのは自分ですから。カメラ位置を変えれば済む」


と一喝。確かにその通りなのだ。意気込むことは悪いことではないにしろ、事故を防ぐ意識とのバランスは常に持ち合わせておいたほうが良さそうだ。


もうひとつのエピソードは、終盤で'伊達'と'流'がテーブルを挟んで会話をするシーンのリハーサル時。ここでも自主練を繰り返す萩原さんは扉と椅子の間を何度も行ったり来たりしている。その度にやはり首を捻り小さな声でつぶやいていた。


「歩数が合わねーんだよな…」


なんと今度は歩数の話だった。おそらく台本上でイメージしていた扉と椅子の距離が違っていたのだろう。この話の興味深いポイントは単に予想が違ったことに違和感を感じている事ではなく、歩数までもを'あらかじめ'芝居の行程に組み込んでいる考え方にある。
以前、萩原さんを追ったドキュメンタリー番組で台本が変更になることを極端に嫌がっておられたシーンが紹介されていたが、納得である。歩数や目線に至るまでシュミレートして作品に臨むスタイルを持つ役者にとって直前の台詞変更などはゼロスタートに等しい。
このような'萩原スタイル'を生で見てしまうと、一言に役者と言ってもやることが多い仕事なんだなとまるで人ごとのように感心してしまう。


六日間に渡る撮影が無事終了した。僕にとってそれはまるで一カ月くらいにも感じるほど濃厚な時間だった。100の空想よりも一回の実体験の収穫の大きさは計り知れない。この経験はまたどこかで役立つだろう。



最後に。
撮影の合間、僕がトイレで用を足していると萩原さんが横に並んだ。そしてこんな言葉を残してくれた。


「半田さん。仕事は毎回、このような機会はもう二度と無いと思ってやって下さい。私自身も今回が最後だと思いながら今ここに来ています。私や岩下(志麻)さんから取れるものは取って帰ってくださいね」


この時、公にはなっていなかったが萩原さんは病魔と闘いながら撮影にのぞんでいたらしい。まさに命を削りながらの仕事だった。
まだ若い自分には命を代償に仕事をしている感覚はない。しかしひとつひとつの仕事を大切にするかしないかに年齢は関係のないことだ。
未来について考えるという事とは、結局'今'をどれだけ大事にするかということなのかもしれない。

行き詰まった時、自分の思いと違う結果になった時、この言葉を時より思い出す。





このような貴重な経験をさせて下さったドラマ鴨川食堂のスタッフの皆様、並びに代役を受け入れて下さったレギュラーキャストの皆様、そして萩原健一さん、ありがとうございました。




NHKドラマ『鴨川食堂』再放送スケジュール
↓↓↓
https://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/90000/367811.html





半田より。