話は突然だった。

見知らぬ番号からの着信。普段ならこういう電話はあまり取らないのだが、その時はたまたま携帯を見ていたタイミングというのもあり深く考えずに電話に出た。
電話口の声は女性のようだ。
「半田くん?元気してる?実は仕事の話でお電話しました。よかったぁ番号変わってなくて」

開口一番仕事依頼の内容だった。普通、事務所に所属しているタレントへの直接交渉は禁じ手とされている。しかしこの電話の主は僕がまだ17、8歳の時からの知り合いで、前事務所から移籍する際も何かと気に留めて下さっていた方だった。この度の電話も僕が今どこの事務所に移ったかを知らなかったため直接連絡をした次第だという。なにより時間が無かった。とにかく急を要する案件でいち早く確認を取りたかったらしい。
早速スケジュールを尋ねられた。しかも来週のスケジュールをだ。なんでもドラマの撮影の話らしい。予定していた俳優が諸事情で出られなくなり急遽代役を探しているとのこと。スケジュールは事務所に改めて確認を取るとして僕は内容を尋ね返した。

それがNHKドラマ『鴨川食堂』の話である。

この時点ではまだ内容も何もわかっていない状況での受け答え。ゲスト主役と聞かされた時、いい話だという事と同時に台詞等のかなりの準備が予想されることに少々困惑もした。なにしろ撮影は来週と来ている。
色々概要を聞いたあと最後にその人が告げた言葉で僕は出演の意向を決意した。

「それでね、お芝居のお相手が萩原健一さんなのよ」

武者震いというものがあるとするならば、おそらくこの時の震えはそれに当たるだろう。電話主はこの条件を口にする時、むしろ少し言いづらそうに話をした。おそらく僕くらいの世代の役者からすれば怖気付く要素として踏まえていたのかもしれない。
とんでもない。千載一遇のチャンスとはまさにこの事で、半ば諦めかけていた萩原健一さんとの共演だ。何が何でも出たい。すぐさま僕は事務所に連絡し、ここで話した内容とスケジュール調整を引き渡した。
しかし、この時点ではまだ確定した話ではなかった。僕のスケジュールが確保できるならこれからプレゼンをするという。とは言え残された日程は一週間。手元に台本はまだない。

二日後になりまた電話がかかって来た。

「出演が決定しました!宜しくお願いします。台本はなるべく早くお送りします!」

決まった。実はこの待機していた時間に色々な事を考えていた。いくら憧れの人との共演であっても不十分な準備期間でどれだけのパフォーマンスが出来るのだろう、いやそもそもそんな無茶が出来るのか?しかも相手はあの萩原さんだぞ、こわい…いっそ決まらなければ…なんてことすら思ってしまっていた。

しかし、現実には出演が確定した。やるしかない。引き受けた以上、時間が無かったは理由にできない。

翌日台本が添付されたメールが届いた。ファイルには書き込みがどのみち出来ないので取り急ぎ内容と自分の役の'分量'を確認してたまげた。
ゲスト主役だけありその出演シーンは多く、台詞も相当量のものが準備されていた。と同時に夢にまで見た萩原さんとのシーンもたっぷりと書かれている。
嬉しさと不安が交差する中、三日前になりようやく台本を手にする。役作りよりもまずは暗記しなければならない。通常自分が行う行程と順番が逆だがこれも今回のケースではいたしかたない。とにかく本を繰り返し音読していく内にあることに気づいた。今まではある程度、役のイメージを固めた上で台詞を覚え始めた方が仕上がりが自然だと決めつけていたのだが、意外にもただ繰り返しひたすら音に出していく作業の中で、台本に込められた脚本家の思う人物像が自然と浮かび上がってきたのである。その役の人物が選ぶ言葉や、会話のテンポを探ることが実は一番自然な役作りなのかもしれないと考えさせられた一例であった。ただこれには'優れた脚本である'ということが絶対条件になってくるのだが。

あの手この手を尽くしなんとか台詞を叩き込んだ。撮影場所はドラマの舞台でもある京都だ。一週間の泊まり込みの準備をして京都に向かった。この時ほど落ち着かない移動は無かった。新幹線の中でも二時間ずっと台本とにらめっこで一向に安らぎは得られない。
撮影初日は鴨川食堂で主演を演じられた忽那汐里さんとのシーン。思えばこれが良かった。ドラマや映画の現場と言うものは作品によってルールがまちまちで、段取りは監督それぞれのスタイルが存在する。それを初日(萩原さんの登場前に!)に知ることが出来た。鴨川食堂の演出をされた佐藤幹夫監督の場合はドライリハーサルと言って、まずそのシーンの通し稽古をする。そこで芝居を修正してそのあとは一気に撮り進めて行くやり方だ。この場合、台本を逐一確認しながらではリハが意味を成さない為、やはり丸暗記しておいて正解だった。もしこれが部分部分暗記のレベルでのぞんでいたら出鼻をくじかれる結果が待っていただろう。


さて、撮影二日目いよいよ萩原健一さんの登場だ。






つづく





『鴨川食堂』再放送スケジュール
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半田より