第7話 夢の守り人・前編  第8話 夢の守り人・後編

この「夢の守り人」の回に当たっては前後半で対になる作品イメージがありますのでまとめてのレビューとさせて頂きます。

まず7話冒頭、巧くん野菜ムシャムシャのシーン。あの日僕は前夜に急性胃腸炎になり、本来なら固形物は何一つ口にしたくない体調での撮影でした笑。いつも熱いもの出され箸を付けず終いなることを悔やんでいたのですが、こんな日に限り豪快に食すように指示が…しかも生野菜はお腹が冷える。
555の撮影サイクルは2話分を約10日でこなして行くペース。初日はまず東映撮影所内でセットのシーンを埋めて行きます。ちなみに菊池家と木場家は同スタジオ内に建てられており、20歩くらいで行き来出来ます。激不調なフィジカルからスタートしたこの「夢の守り人」は555という作品の大枠のテーマである'夢'という存在に向き合ったいわば本当の意味でのスタート的な役割を果たした重要な回と言えましょう。そんなことも当時の頭では分析できず飄々と芝居をしていましたね〜。巧役もそろそろ掴み始めているのが自分でもよくわかります。

それぞれの夢を見ていきましょう。
啓太郎の夢はざっくり人助けということなのでしょうが、この夢は非常に優れた思考だと思います。具体的にクリアする課題を持たず、ただひたすら頼まれ事に応じて行く生き方は挫折の概念を持ちません。しかし啓太郎のように躁鬱の激しい性格を持っていると困難を極める場面に出くわす事も多々…笑。正義感とは時にそれが悩みや怒りを生む根源となりますから難しいですね。それを避けるため巧はわざとぶっきらぼうに振る舞って、一人で生きる道を選んでいたのかもしれないと今になって思う時があります。
真理ちゃんの夢、美容師。俳優という仕事はもちろん台本に基づいた相応しいお芝居をすることなのですが、実は台本に書かれていない部分、すなわちその役の過去であったり生い立ちを分析することも業務の内かと考えています。しかしこれは当の作家の先生もそこまでは決めて書かれていない場合もあり一概に正解が存在するとは限りません。その中で俳優同士あれやこれやと考えを出し合うことも現場ではあります。真理の美容師という夢の経緯について議論することはありませんでしたが、実は当時から気になっていました。というのも巧には夢がないという設定がある以上、夢を持つ者との精神的な差別化をはかる必要性があったからです。馬鹿にするわけでもなく尊敬するわけでもなく、ただ自分とは'別'の生き物だという感覚で真理や啓太郎と接しなければいけません。

「夢」という言葉が持つ響きは美しく前向きな感情をイメージさせます。しかし表裏一体のように人間の感情として付き纏うのが'執着'という概念です。前向きに捉えることを夢と呼び、ネガティブに表すなら執着。これが海堂の台詞にある「夢は呪いと同じ」ということではないでしょうか。自分自身の経験からしてもはじめは'夢'だった感情が'執着'に変わる瞬間を知っています。ひとたび執着心が芽生えてしまうともうそれは夢などと言える美しいものではなく、ただひたすら自己中心的な思考のスパイラルの中でもがき苦しむことになるのです。そしてこれが被害妄想を誘発し、人を恨み始める。まさに呪いです。
話が難しくなりました。話題を撮影時のエピソードに戻しましょう。

教授役でゲスト出演して下さいました小倉一郎さんとは待ち時間に大いに盛り上がりました!小倉さんはギターがお好きで、中でもベンチャーズの大ファンだとか。ベンチャーズと言えばモズライトギター!二人の白熱のギタートーク中に楽屋に戻って来られた溝呂木さんを圧力で楽屋から追い出してしまった程笑。そう言えば若き日の小倉一郎さんと溝呂木さんて似てませんか?これはカメラマンの松村さんが発見したことはのですが、速攻同意できたのは当時の小倉さんの顔を知っていた僕だけでした…。ご興味持たれた方は是非、映画「さえてるやつら」のポスターを検索してみて下さい!

8話をもって巧は初めて使命を発見します。木陰からスッと出て来て'あの'台詞です。大変にいいシーン故、今見ると芝居をやり直したい部分もあるのですがまあそれはそれで当時なりの良さがあるという事で諦めましょう笑。
田崎監督演出によるクラシックギターのBGMの中行われるバトルシーン。何故かとても目頭が熱くなります。戦うという行為の中には本当は正義なんてものは存在せず、根底にあるのは悲しさなんだと…。








つづく。






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半田より。