OUSTの伝記 吉村 承 | 大阪大学体育会水泳部のブログ

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大阪大学体育会水泳部のブログです!‍今年のスローガンは【百尺敢闘】チーム一丸となり到達しうる極限まで果敢に闘い抜きます!

こんにちは!吉村です!


いよいよ最後のブログです!ネット上に自分の考えを長々と書ける機会もこれで最後なので、ただただ僕が大学で感じたことを書きます。

長くて面白さもなくまじめな内容です。
(しょうもないのがいいって人は1回生の時に書いたブログをおまけで最後に添付しておくのでそちらをどうぞ!)


おそらくコメントしにくいと思うので



同時並行で、



リンカーンの
朝までそれ正解コーナーを開催します!!



「む」で始まるモテる男の条件は何か!
考えながら読んでコメントしてください!

できるだけ他の人が思いつかないような答えを待ってます!



制限時間はこのブログを読み終えるまで!

それでは、よーーーい  スタート!!







(↓ ****まで飛ばせます。そこから本題です。)

僕は放射線技師を目指す学部に所属しています。
半年ほど前、阪大病院へ病院実習に行きました。

放射線技師って何すんの?って思う人も多いかと思いますが、放射線技師はみんなが知っているようなレントゲン撮影、CT、MRIでの検査であったり、手術中の透視撮影、核医学、放射線治療、、、などいろいろなモダリティがあり、そこでそれぞれ撮影であったり治療をします。


阪大病院ということで重篤な疾患を持っている方が多くいらっしゃいます。

30代前半なのに脳に腫瘍ができて寝たきりでほとんど意識のない男性、
40代で体重が30キロまで落ちて自力で歩けない女性、
見た感じは普通の20代でもレントゲンを撮ってみると背骨がぐにゃぐにゃに曲がっている女性、
出勤中にバイクで交通事故に遭って救急搬送された30代男性、
見た目は普通でも服を脱いだら片乳を全摘している女性、
生後間もないのに入院して生活をしている大量の赤ちゃん、、


挙げだすとキリがないです。


研究室では虚血性心疾患をエコーで診断できるように新しい指標を作る研究をしています。
その研究で用いるのはラットやマウスではなく、人間の心臓の大きさに近い心臓を持つビーグル犬です。実際に動いている心臓を使いたいので、麻酔を使い、人工呼吸器を付けながら、開胸して実験しています。

犬はラットやマウスと違って、自分の置かれている状況が分かっているように感じます。ラットやマウスは餌をあげたらバンバン食べるし、便もベンベンします。しかし、犬は研究室に届けられると食欲はなさそうで、便もあまりせず、部屋の隅で小さくなっているもの、扉を開けたら震えが止まらなくなるものが多いです。

実験用にロボットに育てられて、あまり抵抗しないように訓練されたおとなしい犬。注射も痛いだろうし、怖いだろうし、死ぬことが分かっているだろうけど暴れも喚きも噛みつきもせず静かに涙を流しながら実験に使われる犬もいます。
実験に使われるために育てられている犬たちは、広い土地で走り回ることが楽しいことや、空が青いことは知っているのでしょうか。この犬たちはたぶん檻の中でしか生活してないので檻の扉を開けても逃げることを知りません。

このような様々な疾患に苦しむ人はこの世にたくさん存在して、人の利益のために実験に使われてしまう動物たちもこの世に無数に存在します。
残念ながらこれが現実で、このような無数の犠牲の上で医療が発展してきたのも事実です。

ただ、僕が今までに見てきたこのドラマでありそうな病気を持ったたくさんの人たちや実験に用いられてしまう動物たちは、僕たちの住む世界から遠く離れた星で起こっていることではありません。現実とかけ離れているような話ですが、阪大キャンパスの中にある阪大病院であったり、保健学科棟のある一室でのことです。


そういう環境から一歩踏み出してみると、"あたりまえ"に、元気に学校に通い、友達と遊び、たくさん笑って、旅行して、泳いで、バイトして、食べたいものを食べている人に溢れかえっていたり、しっぽを振りながら飼い主と走り回って、やりたいところでオシッコして、美味しくご飯食べて、たくさん愛されている犬で溢れている世界が広がっています。


普段意識していないから分からないことだけど、一歩踏み出してみると意外とこの世の中の幸福と不幸というのは隣り合うように身近に存在しています。


僕たち実習生も実習中は、「うわー、この疾患珍しい、見れてよかったね」「あの班はこんなの見たらしいよ、運がいいね」といった会話がありました。しかし、一歩引いて見てみると実際に、ある病室の中で、その珍しい疾患で苦しんでいる人がいて、僕たちが楽しく過ごしている今この瞬間もその人は1日1日消えそうな命の灯火を必死に燃やして生きています。



心から望んで犬の命を奪っているわけではない。だから、犬の実験直前まで頻繁に様子を見に行き、哀しそうな目でこちらを見つめてくる犬を前にして頭を撫でてあげたり声をかけたりして、どれだけ気にしてあげたとしても、あの犬たちにとって僕は彼らの命を奪う悪者にしか映らないでしょう。




*****

と、僕が最近見てきた、日常とは少し違った経験の話をしてきました。

今ぼくは自分の経験をブログに書いていて、今あなたはそのブログを読んでいる。

自分の好きな姿勢で携帯をいじったり、テレビを見たり、ゲームをしている。


自由に呼吸をして、おしゃべりして、食事を取っている。


夜更かしして、たくさん遊んで、寝たいときに寝たい分だけ寝ている。


こんな生活自体が僕たちにとっては"あたりまえ"の生活ですけど、その"あたりまえ"をしたくてもできない人がいて。

「あたりまえ」のたった5文字はすごい幸せを表しています。



人が普段自分は幸せ者だって感じられない場面があるのは、

人が欲望の塊で出来ていて、

常に他人を羨んでしまうから。


隣の芝生はどこまでも青く見えてしまいます。


もしかしたら、主将をやって、インカレに行って、リレメンにも入ってる僕のことを羨ましがる人がいるかもしれません。

でも逆に僕からすると、いつもベスト出していたり、友達が多かったり、いろんな趣味を持つみんなのことがすごく羨ましく見えます。



幸せってのはおそらく一生摑み取れないもので、
鏡の中の世界のような、目には見えてるけど手は届かないようなものかなって思います。




小学生の頃、教科書で読んだことのある詩を2つだけ覚えています。

1つは、 きりん  です。

きりんをごらん、足が歩くよ

くびがおしていく、空の中の顔
きりんをごらん、足が歩くよ


これは、小学3年の時に、1日に100回音読して先生に褒めてもらおうと思ったら、気持ち込めて読めって怒られた詩です。

これは、今の話に関係ないです。



もう1つは、 虹の足  です。

きりんより少し長めの詩なので興味のある人はこちらへ。
https://www.bukkyo-kikaku.com/archive/no98_15.htm


簡単に説明すると、筆者はバスの中から虹が見えて、その虹はある町にかかっている。みんなが憧れる虹だけど、中にいる人は自分たちにかかっている虹が見えていない。自分たちが虹の中にあることに気づいていない。

(以下抜粋)
そんなこともあるのだろう
他人には見えて
自分には見えない幸福の中で
格別驚きもせず
幸福に生きていることが――。

っていう内容です。

虹は誰もが憧れる、幸せの象徴とされています。
触ってみたい、乗ってみたい、渡ってみたい。
幼い頃、一度は誰もが思い描いたことではないでしょうか。

でも虹はある方向からだったら見えるけど、ある方向からだと見えないもの。だから、筆者からは虹が見えても、町の人たちは虹が見えないんでしょう。

あいつは虹が見えないんだぜワロタ

っていう内容の詩ではなく、



今あなたが置かれている"あたりまえ"の世界が、自分では気づいてないかもしれないけど、他の人からは喉から手が出るほど自分のものにしたい世界で、幸せに包まれている世界なのに、あなたは驚くこともなく、"あたりまえ"に生活しているんですよっていうことです。


また、ゲーテの言葉に

虹も15分出ているともはやそれを眺める人はいない。

というのがあります。

関カレ1日目の終わりに梅田で大きな虹を見ました。せいごが、「これは一部昇格の虹やー」って言って写真を撮っていました。通行人もみんな写真を撮ってたし、僕も写真を撮りました。


でも、写真をついつい撮ってしまうほど珍しい光景なのに、写真を撮ったら終わり。もう少し見てましょうよって言う人や立ち止まってしばらく眺めている人は誰もいません。



虹が出ているということにすぐに慣れちゃう。


幸せも一緒で、たぶん手にしたとたんその世界にすぐ慣れちゃうんですね。




阪大水泳部だってそう。プールは虫や葉っぱが浮いてて汚かったり、蚊が多かったり、暑かったり寒かったり、いろんな文句が次から次へと出てきます。

でも、毎年のように人数多く盛り上がって練習に取り組めたり、練習場所に困ることもないし、きちんとしたルールのもとで部活できているのは、自分たちだけで作り上げれるものではなく、上から伝わってきた雰囲気のおかげです。


雰囲気というものは欲しかったら買って手に入るものではなく、一部の人たちだけでできるものでもない。欲しくても簡単に手に入らないようなもの。


まじめに練習したくても、遅刻は当たり前、練習には来てもくれないといった雰囲気の大学があるのも事実です。


僕たちがまじめに水泳に取り組めるのは、たまたま入部したら手に入ったこの素晴らしい雰囲気があるから。

今となっては僕たちにとっては"あたりまえ"になったこの雰囲気の中で水泳をできる大学は全国の中でも多くはないでしょうし、団体権を“あたりまえ”のように毎年取れたり、全国レベルから初心者レベルまで“あたりまえ”のように同じプールにいる環境であったり、“あたりまえ”に仲が良かったり。

僕らにとってのあらゆる“あたりまえ”は他からは憧れの虹、つまりは幸せに見えるかもしれません。



もし、今忙しくてすごくしんどかったり、就活がうまくいかなくて辛かったり、失恋して傷心してたり、ベストが出なくてしんどいやめたいってなってたり。それは人それぞれで、全てがそうとは限らないけれど、きっとその状況から一歩離れて違う角度から見てみると、実はその中にもすごい幸せが潜んでいるかもしれません。

他の幸せを追い求めるより今手にしている幸せに気づき、大切にすることが何より大切です。

引退を前にして見てみると、阪大水泳部は間違いなく 虹 のなかにある部活です。これからたくさん壁にぶつかって苦しい思いをする日々が続くかもしれません。


やっぱり海を泳いでいるときは海の広さを知らないものです。

でも、きっとみんながこれから泳ぐ海は、波が荒くて、深くて、冷たくて、真っ暗な海かもしれない。
でもその海は渡ってみたいと思っても渡れない人がたくさんいるような海で、その先にはきっと綺麗な、透き通った海と七色に輝く虹が待ってます。

今、手にしている“あたりまえ”を大切にして、これからのさらなる成長を祈っています。





ってことを感じていました。
こんなに面白くないブログ、最後まで何人読んでくれたんでしょうか笑笑


皆様、大変長らくお待たせいたしました!タイムアップです!

それでは
「む」で始まるモテる男の条件をコメント欄に書いてください!

優勝者はまた後日発表します!!


引退メンバーとのツーショットコレクションも残り2枚!!ワクワク!



(おまけ→https://ameblo.jp/handaiswim/entry-12241899031.html)