父親がアルコール依存症だったので、一緒に断酒会に参加していた時期があります。
3割くらの参加者が断酒に取り組もうとしていて、その中の数人が本気で取り組み、アルコール依存症を克服しようとしていた。
残りは、私から見ると「来なければいいのに」と思うような人達が多数だった。
「子供に泣きつかれたから来てやった」とか。
「嫁に参加しないなら離婚すると言われて、しぶしぶ来た」とか。
「親戚一同に吊るしあげられ、脅されて来た」とか。
そんな感じで参加された方々は、腕組みしてふんぞり返ってたり、興味無さげに別の事をしていたり、うつ伏せになって寝ていたりで、そんな姿を見ると「来なければいいのに」と思うのでした。
ある日、断酒会の会場に行くと、入り口で泣き喚めいている人がいて、「何だろう?」と思い状況を確認をしたら。
アルコール依存症を克服しようと一生懸命なグループのAさんを、ふんぞり返りグループのBさんが、相談があると誘い出しお酒を飲ませたとの事だった。
泣き喚いていたのはAさんの妻で、「お酒止めようと、あんなに一生懸命やったのに、お酒を無理やり飲ますなんて酷すぎる」と、泣き喚いていたのでした。
Bさんは「俺は無理やり飲ませてないで、何回かすすめただけで、Aさんが自分でグラス持って受けたんやで」と、なんとも言えない笑顔で話していた。
それを見て「どーやったら、これだけ魂が卑しくなるんやろ?どんな生き方をしてきたら、こんだけ下卑た笑顔になるんやろ?どうしたら人を不幸に追い込んで、これだけ嬉しそうに喜べるんだろう?」と心底、謎で気持ち悪くなった。
そしてBさんの後ろで、娘さんが同じ笑顔をしていてるのを見た瞬間、なんとも表現し難い気持ちになってしまった。
例えば、自分が持っていない物を他人が持っていた時に、私は、その人が不幸になることを望むことは無いし、その人が酷い目に合えばよいとも思わない。
断酒できないから、断酒に取り組んでいる人の邪魔をしたい、お酒を飲ませて家族も困らせてやりたい、そんなふうに思う気持ちも分からないし、笑顔になれるのはもっとわからなかった。
「こうやって親から子に引き継がれるんだ。」と思った。
人としての在り様、心の発達、情緒の発達は、子供を取り巻く大人と環境の影響を強く受ける。
Bさんを主とする道徳観、家庭のルールで育つので仕方がないと言えば、それで終わるのだが、以降Bさん一家とは挨拶ひとつしなくなった。
私の父もBさんも、そのうち参加しなくなったのだが、私はAさんと話をしたくて、お酒を飲めないのに特別に断酒会に参加させてもらっていた。
そしてAさんが「もうこれで何があっても負けへん。誰に誘われても飲まへん」と、ハッキリ・キッパリ宣言したのを聞き、私が断酒会に顔を出すことはなくなったのでした。
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