貞治の故郷へ 〜勝間の大聖不動明王〜 | 半田カメラ/気になったら とりあえず行ってみるブログ

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フリーカメラマンで大仏写真家の半田カメラが、
「気になったら とりあえず行ってみる」
をモットーに、彷徨いつづける日々の記録です。

前回のブログ『守屋貞治との出会い 〜海岸寺〜』で書いたように、

守屋貞治の石仏(以下、貞治仏とします)と出会い、

感銘を受けた私は、貞治のことを調べはじめました。

 

貞治は長野県伊那市高遠の出身で、活動期は江戸時代後期。

高遠は石造物を作る石工(いしく)をたくさん輩出し、彼らは高遠石工と呼ばれました。

高遠藩は石工を『出稼ぎ石工』として日本各地に送り出すことで、

藩の財政の多くをまかなっていたようです。

そんな中で生まれた天才が守屋貞治だった。

調べる中で、そうしたことがわかりました。

 

ならば今度は伊那市高遠に行こう、と。

 

この時点ではまだ自覚はありませんが、

いまになって思えば貞治仏をめぐる旅は、私にとっての『推し活(おしかつ)です。

超ド級にマイナーな『推し活』ではありますが、ライバルは激少。

ここにきて早くも推しの地元に行ってみよう、となったわけです。

 

そんなわけで海岸寺に参拝してから約半年後、

私は伊那市高遠へとむかいました。

人生、初伊那市です。

 

 

まず最初に会いに行ったのは、貞治の代表作。

『最高傑作』と多くのサイトや書籍に書かれている、つまりは人気の石仏

勝間の大聖不動明王(かつまのだいしょうふどうみょうおう)です。

 

ただその場所がちょっとばかり難しい場所でした。

ようは、お寺や神社じゃない、道ばたの石仏なんです。

場所がわからなくて泊まったホテルの方に聞くと、丁寧に教えてくださいました。

子連れで石仏の場所を聞く、変な客だと思われていただろうなぁ…(笑)

 

不動明王像は、切り立った三峰川の岩壁、常磐橋のたもとに安置されています。

 

 

上の写真が遠景なのですが、わかりますか?

石仏の右側にロープが貼られ『立ち入り厳禁』的な看板があります。

想像するに、不動明王像に近づこうとする人がたまにいるんでしょうね。

この橋の下は断崖絶壁、とっっても危険です!

絶対に橋から参拝してください!!

 

わりと交通量があるので、橋付近に車を駐車するのも危険です。

離れた停めやすい場所に停め、歩いて参拝しましょう。

レンタサイクルがあるといいですね…そんな場所です。

 

前置きが長くなりました。

貞治の最高傑作、勝間の大聖不動明王がこちら!

 

 

メラメラと燃え上がる光背の炎も勇ましい、怒れるお不動さま!

憤怒の形相でありながらも、ただ怖いというだけでない魅力を感じます。

 

あまりの存在感に、

「本当にひとつの石から掘り出したの?」

と思うわけですが、

全体像をみると上部に石のそのままの感じも残されていて、

ちゃんと石なんだな、と素人目にもその凄さが伝わります。

 

 

このお不動さま、難しい場所にあるのにはワケがあります。
この川は江戸時代90回も氾濫し、人々はとても苦しめられたんだそうです。
「川を鎮めるお不動さまを!」
という地元の要望を受け、貞治がつくったのです。
 
他の場所に移されたこともあったそうですが、
移すと良くないことが起き、またこの場所に戻されたのだとか。
 
ですから、来るのが難しい場所であろうと、近くに車を停められなかろうと、
お不動さまはここに居なければならない
それがお不動さまの存在理由なわけです。
たとえ大変であっても我々がここまで出向かねばならない。
石仏とはそうしたものなのです。うん。
 
 
橋の上の同じ場所からしか拝めないため、
写真も同じ角度からしか撮れないわけですが。
私はもう3度この場所に行っていますので、初見とは違う季節の写真もあります。
秋はこんな感じです。
今度は夏に行き、太陽の光をガンガンに浴びているお不動さまを拝みたいものです。
 
 

こちらのお不動さんも拙著『道ばた仏さんぽ』に掲載させていただきました。

ご興味持たれた方はチェックしてみてください。

 

私の『推し活』はまだまだつづきます。
ストックは山ほどありますので。
しばしお待ちください。